全5回の 第2回 「近江の農書について学ぶ ・ 『製茶図解』 を読む」 は、1月23日(火曜) 終日 彦根キャンパスでの講座でした。
近江の農書
日本農書全集 全35巻には、日本中の農書が集約されていますが、彦根市立図書館の蔵書である 「製茶図解」と「養蚕図解」は、この全集から除外されました。
粕渕先生の調査によると、この2本は明治に入ってからの本であること、ページ数も少ないという事で全集には、収録されなかったのですが、両書とも科学的な記載があり、農業
啓蒙の書としては格調が高いと評価されています。
今回の講座では、近江の農書である 「製茶図解」、「養蚕図解」についての解説がありました。
この両書は、明治4年正月 彦根藩から出版されたものですが、この理由については、次の3点があげられます。
①幕末の彦根藩は、かなりの借金があり、殖産興行が必要であった事
②幕末の国政を担当していた故に開国後の貿易が読めていた事、明治期の日本の重点輸出品は、「茶」 と 「生糸」であることがわかっていた事
③新政府に対する忠誠の証として、本の編纂で反抗心の無い事を示す事
が、動機にあると考えられるとの事を教わりましたが、これは、大変興味深いお話でした。
「製茶図解」の内容
序文3ページ、本文32ページであり、そのうち 21ページに図が挿入されており 茶の栽培編 と加工編に分けられ、その解説と、作業等の図が描かれています。
茶の栽培編:以下の栽培手順とそれぞれの図解
①茶の実をちぎるー>②茶の実を干して種を俵に入れて保存ー>③茶の種をまく土地の準備ー>④桟俵などを敷きその周囲へ茶の種をまくー>⑤茶の苗の成長図
ー>⑥成長したら根元の土を鋤でかき除き、秋に土をかき寄せるー>⑦植え分けするー>⑧肥料を施す
加工編:茶摘み時期、茶葉の蒸し方、煎茶製造手順と、必要な用具の図解
①立春から八十八夜(五月二日ごろ)から百夜に茶の葉を摘む事
②摘んだ茶葉の茶蒸し籠 (用具)の図解と蒸し方の手順が記述
③煎茶製造の行程の説明とその図解、注意事項が記述
煎茶製造の行程
1蒸した後の乾燥、2茶をもむ手順、3さらに乾燥させる手順、4乾燥後渋紙へ移す作業、5茶葉の大小をそろえる作業、6乾燥の終わった茶葉を茶壺に詰める作業
特別製の玉露を栽培についての記述
年数がたったもので、樹勢のさかんな木、そして八十八夜まえから日光が当たらないようにし、雨や霜がかからないよう屋根や囲いをして
育てます。茶の摘み方や製造法は普通の茶と変わりない。と記されています。
「養蚕図解」
序文6ページ、全文57ページ、うち34ページに挿図が入っています。
桑の栽培編と、蚕の飼育編に分かれ、各編とも詳細な説明があることを学びました。
栽培編では、桑の種実の採取、播種、施肥、除草、間引き、移植、取木苗の仕立て方、桑の品種、摘桑苗と刈桑苗、についてまとめられています。
飼育編では、蚕種の保存、掃立て、飼養の詳細、蚕下の網取り法、採卵法 等がまとめられています。
農具便利論
大蔵永常は、鋤、鍬等の農具の大きさを調べ「農具便利論」を編纂しました。 これは、1822年 文政5年初版発行され、何度も版を重ねて明治期
にベストセラーとなったという事を、学びました。
先生からのこぼれ話メモ
明治の缶詰のラベル
滋賀県にゆかりのある缶詰め: 先生は,明治20年ごろに作られた 「サケ(Salmon)Fujino」 という缶詰ラベルの紹介をされた。この ラベルは、豊郷町に生まれたルーツを持つ、東蝦夷開拓と、その地の物産の商いなどで、財を成した、藤野四郎兵衛の子孫が作った缶詰会社の缶詰に貼られていたものです。 藤野四郎兵衛の本宅である屋敷跡は、その後改築され、豊郷町の郷土資料館 「豊会館」 として残されています。
小幡人形
江戸から、明治にかけて、農家の副収入を得るための仕事として、中山道沿いの五個荘町小幡では、お土産ものとして、京都の伏見人形を模した土人形を作っていた。
詳細は、小幡人形 を参照してください。
大根のひげ根の向き
大根の根のひげ根は、地中に生えているが、これは、東西に伸びるのか?それとも南北に伸びるのか? という宿題が出ました。 わかった方は、教えて下さい。
ちなみに、筆者栽培の大根では、東西 に伸びていましたが、サンプルが1本だけなので不確かです。