滋賀大学経済学部附属資料館 見学

全5回 第4回 「民俗資料の収集の方法② PM 滋賀大学経済学部付属史料館見学」は、2月7日(水曜)午前:彦根キャンパス、午後:滋賀大学 午後の滋賀大学訪問は悪天候のため中止となり彦根キャンパスでの講義となりました。   

粕渕先生から、今は姿を変えてしまった道具や、民具、習慣のお話がありました

洗濯板の変遷

洗濯板は、日本へは欧米を通して移入されたが、洗濯板を用いた洗濯が一般的になるのは、大正時代からです。電気洗濯機の普及とともに洗濯板は必需品ではなくなり、用いられる頻度が激減しました。 洗濯板ののこぎり状の模様は、最初は水平方向につけられていましたが、使いやすさの観点から円弧の形に変わっていったというお話がありました。

近江の古枡 米、油、酒等を計量する枡について

穀物、油、酒などの計量には、枡が使われました。 古くは大化2年(646年)から存在していた記録があります。現在では、一升枡:1800ml、5合枡:900ml,1合枡:180ml 等ですが、かつてはいろんな種類の枡が存在していました。、石高を正確に把握するために、枡の基準の統一が必要となり、秀吉の時代に京枡を基準とすることが決められ、標準化が図られたのですが、近江の枡としては、「古今要覧稿」に以下のものの記録があります。

近江国 武佐枡 1升=(京枡8合2勺)、 大津枡 1升=(京枡8合3勺8撮)、 山門枡 1升=(京枡同)、 三井寺枡 1升=(京枡同)、等の種類があります。
特に武佐枡の歴史は古く、一升枡にもかかわらず、8合2勺しか入らない枡でした。この枡は、佐々木義定(六角氏17代当主)が年貢を少なくするための救民のために使ったという説や、国の石高を過大に見せるためにこれを用いたという説などがあります。 
その後、徳川幕府は、計量は、厳しく規制を行い、枡の製造、販売、検査の権利を与えられたのは、”福井家”でした。 1668年(寛文9年)には、福井家で製造する枡に”京枡” の焼き印を押すことが許され、江戸幕府から、京桝の規格が全国の桝の規格として許されました。

万能枡の紹介

近江町の庄屋で使われていたもので、5合枡、3合枡、2合枡が組み合わされており、これを使えば、1合から、10合までが計量できる便利な枡です。

先生より以下に関するお話がありました。

平仄(ヒョウソク)

蠟燭ができるまでの灯火器。古くはカワラケに油を注ぎ、ひもや布切れ等を利用した燈心に点火して明かりを取っていたものと考えられます。燈心皿から燈心が浮上するのを防ぐ目的で
使用されたものが、「かきたて」 とうい陶製や、金属製でできた小道具です。 ヒョウソクとは、このかきたてを皿の中央部に固定した造られた物です。

道中着(半合羽) 雨合羽

藍染の木綿製、道中着に、刀を差す穴があるのは、江戸時代のものです。

あま台

嫁入り道具の一つである針箱。小さい引き出しの中に、隠し物入れがあり、そこに小銭等を入れていたといわれています。

歯痛のまじない

彦根城内の家老屋敷跡の石垣の隙間に錆びた釘がたくさん挟まっているところがあります。歯痛の方が、歯痛を直すまじないとして、夜中にくぎを打ち、その石垣の隣にある地蔵尊
に治癒を祈願した跡であるとの事です。


その他、先生のコレクションは、以下の写真を見てください。

彦根藩の米3升の交換札、豆切手、大森村(八日市)の茶切手、 常備薬入れ、 薬の袋