午前はグループCの実践です。 午後は学習の振り返り、まとめと講評です。
今回が最後の実践です。 グループCが、グループA、B、D、Eを案内します。
行程の関係上、9時30分に柏原宿歴史館に集合です。
天気は曇りでした。雨が降った後なので、湿度が高く蒸し暑かったです。下見に行った人が山びるにかまれたことから、ズボンの裾を靴下に入れるなど対策しました。
参加者は、西嶌先生、福永先生、クラス20人、事務局1人の総勢23人です。
午前:グループCの実践 案内(柏原宿と東山道)
〇案内時間:9:30~11:50
〇コースと行程:9:30出発前に概要とコース概要(説明)、柏原宿歴史館出発、旧柏原銀行、道標やくし道、お茶屋御殿(説明)、柏原一里塚、東山道と九里半街道(説明)、旧東山道へ入る10:10、北畠具行卿の墓(説明)10:20、休憩10分、10:40清瀧寺徳源院(説明)11:10出発、中学校前の道、市場川右岸から上流へ上がり街道に出る11:30、高札場跡、常夜燈、本陣跡、脇本陣跡などの説明を行う11:50頃終了
〇目玉:東山道を歩く、北畠具行卿の墓、京極氏の菩提寺の清瀧寺徳源院 、本陣跡、和宮下向
午後:学習の振り返り、まとめ総括
グループ毎に実践についての感想と反省などを代表者が発表しました。
最後は西嶌先生と福永先生からの講評です。
実践を経験して、知ってるつもりの事も自分が実際にやることで、本質がわかった気がします。
西嶌先生が草津校の学生から聞いた言葉、「課題学習は自己満足」、「郷土理解はお客さん満足」が印象に残りました。
午前:グループCの実践の様子、午後:学習の振り返りは下の写真ギャラリーをご覧下さい。
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午前:グループCの実践
9:30柏原宿集合です。
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柏原宿歴史館を出発
江戸時代の柏原宿に関する資料を展示しています。建物は大正6年に建築されたものをコンバージョンしました。
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道標やくしみち
享保2年(1717)の建立。漢字、変体かな、ひらがなの3書体で刻まれたいる。西薬師(泉明院)への道しるべである。
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旧柏原銀行本店跡
元村長であった山根佐太郎が地元の有力者6人に働きかけ、明治34年(1901)自宅別棟に柏原銀行を創立した。昭和18年に滋賀銀行に合併されるまでこの地方の産業を支えた。
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お茶屋御殿
徳川将軍の上洛の際の休泊施設跡。家光が上洛するため、元和9年1623年に建てられた。御殿の規模は間口42間、奥行38間で2000坪あった。
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徒歩で移動中
柏原宿歴史館、お茶屋御殿、一里塚、東山道入口へ順次歩いて移動して行きます。
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柏原一里塚
旅の里標(みちのり)の目安と旅人の休憩場所として一里毎(4km)に造られました。江戸から115番目(451km)の一里塚です。当時は街道の南北に設置されていました。
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松並木
柏原宿で唯一、残っている松並木です。
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東山道と九里半街道の説明
中山道関ヶ原宿と番場宿の間は、九里半街道とも呼ばれた。木曽・長良・揖斐三川の水運荷物は、牧田川養老三湊に陸揚げされ、関ヶ原宿から中山道に入り番場宿で、船積の米原湊道へ進む。
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ここから東山道
東山道は、横河駅があった梓を中山道と同じ道で東へ進み、長沢を過ぎ、ここ北畠具行卿墓参道入口のある谷間で、中山道と別れ山越えする。
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東山道 ここを歩きます
東山道は徳源院のある清滝へ降り、右へ折れ、成菩堤院裏山の北側を東進する。JR野瀬(山)の踏切に至り、再び中山道と合流して、県境長久寺へと向う。
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東山道を歩く
雑草の中を掻き分け進みます。
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忠臣 北畠具行
楠木正成と同じ、天皇を守った忠臣です。
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北畠具行卿の説明
後醍醐天皇を擁立した倒幕計画である元弘の変(1331)の中心人物・北畠具行は、捕らえられ鎌倉におくられます。
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北畠具行卿の墓 宝篋印塔
その途中この地にとどまり、護送する京極高氏(道誉)によって、再三幕府へ助命嘆願されますが、かなわずこの地で処刑されます。
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ため池前で山ヒルを落とす
小さいですが、ヤマビルがいたようです。
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石碑 柏原城跡
ここに京極氏の柏原屋敷があったのかもしれません。
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清龍寺徳源院
宇多源氏の流れをくみ、中世に近江北部を領した佐々木京極氏の菩提寺で霊通山清瀧寺徳源院といいます。
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青龍寺徳源院前での説明
佐々木京極氏は五世高氏が足利尊氏の下で活躍し、室町幕府では四職家に数えられるくらいほど重要な地位を占めるようになりました。
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清龍寺徳源院 この奥に宝篋印塔
境内には歴代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が三十余基並んでいます。江戸時代の初めに京極家の第二十二代(丸亀藩二代)の高豊公が歴代の菩提寺からその墓石を集めて、院内に設置しました。
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清龍寺徳源院の本堂
京極家は明治まで存続します。
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境内を自由に見学
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清龍寺徳源院 三重の塔
やっと改修が終わったところです。まだ、屋根の吹き替えが残っています。
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三重の塔前の記念写真
地面がかなり傾斜しています。
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東西堺の常夜灯右と高札場
柏原宿の防火と旅人の安全を願い、火伏の神「秋葉山」と刻まれた灯燈。安永6(1777)年に造られている。隣接して高札場があった。
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本陣跡
参勤交代の大名や公家などの公人が宿泊したり休憩したところが、本陣・脇本陣です。今は当時の面影はないが、皇女和宮も宿泊した。
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本陣前を移動
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旧吉村公三郎邸前での説明
柏原宿の地図の前で説明しました。吉村公三郎は映画監督でした。
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伊吹堂 亀屋左京商店
盛時には十軒近くあったもぐさ屋のうち、今も残るただ一軒に老舗です。現在の建物は文化12年(1816)のものです。大きな福助さんが飾られた店頭のたたずまいは、歌川広重が描いた浮世絵のままです。
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柏原宿歴史館の駐車場で解散
午前はここで、解散です。これから急いで彦根キャンパスに戻ります。
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午後:学習の振り返り、まとめ
西嶌先生と福永先生による振り返りとまとめ(講評)
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グループA 鳥居本
国道8号線を横断することが問題と感じた。三成にとって過ぎたるものが佐和山城であり、彦根城に一部、再利用された。
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グループB 安土町の街歩き
地元である安土町を選び鳥観図も描くことができ満足している。3.5km/2hrの適切なコースで、常浜、木村城を再発見できた。
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グループC 柏原宿と東山道
東山道をテーマにしたので、山を登る必要があり、そのため、天気にやきもきし、皆さんに迷惑をかけた。
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グループD 彦根城外堀回り
芹川を付け替えして外堀として利用したこと。佐和口の根が地上にでない「いろは松」が土佐藩から寄贈されたことなどに興味が沸いた。
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グループE 岡村酒造、吉田城と豊郷小
車8台を連ねて移動したが、コースとしては適切でなかったかもしれない。豊郷町は小さい町だが豊郷小学校等、観光資源が多く興味深いところであります。