滋賀県の北部、琵琶湖の東側にある木之本は湖北平野の北端、田上山(標高330m)南麓の扇状地に立地し交通の要所として古代から開けた場所です。
浄信寺の門前町として発展し門前を南北に「北国街道」が通り、南部で「北国北往還」が南東へ分岐し「宿駅」が形成されました。
北国街道と木之本宿
北国街道は、北陸と近畿を結ぶ山間に開けた陸路で、彦根市下矢倉町で中山道と分岐し、湖北地方を南北に縦断、栃ノ木峠(標高537m)を越えて越前・加賀へ向かう。一般的には金沢城下から中山道鳥居本宿までを北国街道と呼びます。
北国街道の宿場町として栄えた「木之本宿」は元禄年間の(1688~1703年)の記録によると、本陣、脇本陣、問屋、馬持、旅籠、商家などが東西両側に並び、戸数193軒、人口1,345人とあります。
木之本宿
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講師 福井智英 先生
講師は長浜城歴史博物館 館長 福井智英 先生です。本陣の竹内五左衛門家や木之本自治会には、多くの古文書が保管されています。先生はその古文書を読み解き、当時の様子をまとめて、各所で発表しています。
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地域の古文書
古文書の資料の中には、北国街道で行き倒れた人々への対応を書いた一連の資料があり、宿で病死者がでた場合、木之本宿から彦根藩奉行へ、病死者、死亡状況、葬送などに関して届出が出されます。
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木之本宿(明治)
明治時代の木之本宿の北国街道です。街道の中央は植樹されている。昭和初期までは中央には水路が通され、宿場としての風情が残っていました。
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木之本宿(現在)
現在の木之本宿の街道の状況です。左側はちょうど「つるやパン」の前の「本陣」です。
休泊施設には、本陣・脇本陣と旅籠があり、旅籠は一般旅人が利用し、本陣は大名や公家、幕府の役人などが休泊する施設です。 -
木之本宿 本陣薬局
北国街道木之本宿の本陣です。国の登録有形文化財になっています。北国街道を利用した諸大名が宿泊した際の「宿札」も現存しています。本陣の主屋は、2階建て、切妻造り、平入桟瓦葺きで、延享元年(1744年)に築造されました。
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伊部本陣(おまけ)
伊部宿は北国脇往還のほぼ中間に位置し、本陣、問屋が各1軒、旅籠11軒、伝馬13疋が常備される大きな宿場でした。肥田家が主を務めた伊部本陣跡は当時の面影を残しています。焼鯖そうめんの講師を務めた肥田先生のご主人が、肥田家16代当主です。