江戸時代の北国街道

江戸時代には北近江の主な街道である北国街道、北国脇往還、中山道の3街道がトライアングルを形成していた。当時の北国街道は長浜を通る現在の北国街道に近い。北国脇往還は木之本宿から分かれて、伊部、春照、藤川と伊吹山の裾野を通り、中山道を横断して、東海道に到達する北国大名の参勤交代のルートです。付属の街道として、小谷道、朽木街道、その他、国境の道の西近江路、塩津街道、刀根越えがあります。

一本でない北国街道

北国街道でも「金沢の北国街道」と「近江の北国街道」とでは異なり、さらにその時代によっても変遷してきます。金沢の北国街道は、京都に向かう北国上街道を指します。中世の北国街道は山西街道(小谷道)であり、近世の北国街道は脇往還であり、現在の北国街道は長浜を通るルートです。

江戸時代の北国街道