10月18日午前中に村居利美先生から教室で講義を受けました。琵琶湖総合開発が行われて湖岸道路が建設される前の様子、特に内湖の分布や役割・重要性について教わりました。北近江には早崎内湖、入り江内湖、松原内湖、大中内湖などの大きな内湖がありました、今は西の湖と小さくなった早崎内湖くらいになっています。内湖は食料増産の為に干拓され昭和22年から47年にかけて消えていきましたが、今振り返ると失ったものも多いと思います。
午後からびわこスポーツの森に集合し、先生の案内で早崎内湖の見学と西野水道のフィールドワークに出かけました。
フィールドワーク
-
早崎内湖1
早崎内湖横の側道に集合して説明を聞きました。午前中に当時の姿を聞いていたので、ずいぶん小さくなったものだと思いました。生態系についていろいろな実験が進められているそうです。
-
早崎内湖2
内湖とは湖岸の内側に生じた池、沼、クリーク等の総称です。琵琶湖とつながり、生物が移動できます。波浪が遮られて、水面が穏やかで、さらに内湖の水深は1~2mと浅くなだらかな傾斜の水辺をもつ平底の水域で、生物にとって天国です。
-
西野水道見取図
西野水道の案内小屋にある見取り図です。この山はすべて岩盤でできている岩山で幅が220mあります。両側から掘り進められましたがその誤差は30cm程度だったそうです。すごい測量技術です。手掘りと言えば大分県の青の洞門を思い出しました。曹洞宗の僧、禅海が30年の歳月をかけて、425m掘りました。
-
2代目西野水道出口
手堀の水道を抜けて琵琶湖側に出てきたところです。奥に見えるの出口は2代目水道のものです。初代の江戸時代に作られた水道は高さが2m程度で最大4mの岩の洞窟です。中にはコウモリが数匹ぶら下がっていました。そっとしておいてあげました。
-
琵琶湖の湖岸
水道を抜けた場所は見たことのない美しいところでした。琵琶湖の原風景を思わせる景色が広がっていました。
-
3代目西野水道
昭和の3代目西野水道の前で説明を聞きました。きれいな西野川の水が琵琶湖に流れ込んでいて、カイツブリが魚を狙って盛んに潜っていました。3代目は余呉川放水路西野トンネルと言います。断面は円形で直径10.3mです。道路トンネルと同じ工法で掘削したようです。