北近江の万葉歌

近江に関する能、狂言、民話、近江の万葉歌、芭蕉に関する講座でした。万葉歌の歌碑、芭蕉の句碑が近江の地にたくさんある事が紹介されました。 

① 受講生による本の紹介

1人3分の時間で自分の選んだ本の紹介を行いました。最初の授業では10名が本の紹介をしました。
①なぜこの本を選んだのか? ②この本に何が書いてあったのか ③読んで思った事を発表するのが課題でした。発表のあと紹介された本のうちどれが読みたいと思ったかとの投票を行ったところ、今村翔吾「八本目の槍」が一番人気となりました。紹介された本の一覧は下部の写真を参照してください。

みんなが読んだ本は上の看板をクリックしてください。

② 能 狂言の近江

鎌倉時代に猿楽の能と呼ばれる歌舞劇が盛んにおこなわれ、南北朝から室町にかけて観阿弥、世阿弥父子がその猿楽能を集大成し今日の能を作り上げました。
近江が舞台の能:以下の11演目が紹介されました 「自然居士」、「三井寺」、「白髭」、「望月」、「巴」、「兼平」、「鸚鵡小町」、「源氏供養」、「是界」、「蝉丸」、「竹生島」

近江猿楽

鎌倉末期から、室町前期にかけてもっとも隆盛で、幽玄本位の芸風をもって、大和猿楽、田楽と能の座を覇争った。足利3大将軍義満の愛顧を受けた比叡座の道阿弥(犬王犬阿弥ともいう)は名人の誉れが高かったが以後衰退し江戸初期に大和猿楽の観世座に吸収され消滅しました。
近江猿楽は以下の6座が中心的存在でした。 上三座 日吉神社に奉仕(山階座、下坂座、日吉座) 下三座 多賀神社に奉仕(敏満寺座、大森座、酒人座)

狂言

歌舞中心の能に対して科白(セリフ)と劇的動作を中心に発展したものです。社会、人間の風刺、洗練された笑いに特徴があります。能舞台で演じられるが面は用いず素顔が原則です。近江が舞台の狂言:以下の4演目が紹介されました。 「蚊帳相撲」、「竹生嶋詣」、「富士松」、「釣狐」

③ 近江の民話

古くから多くの口承説話(口伝えの話)が伝えられてきた。ほとんどは、伝説の形で残っていて、琵琶湖などの土地の自然と結びついたもの、信仰と密接にかかわるもの、歴史上の英雄の事跡を語るもの等々、様々です。

④ 万葉集と近江

万葉集 約4500余首のうち近江に関連しているのは、108首ほどあります。
奈良時代に大伴家持がまとめた日本最古の歌集です。歌数4500余首。仁徳天皇の皇后磐姫 (いわのひめ) の作といわれる歌から、天平宝字3年(759)大伴家持の歌まで約400年にわたる全国各地、各階層の人の歌が収められています。 令和の文字は万葉集から選ばれています。

「1300年の時を超えて 万葉歌と近江の今」のテーマで京都新聞2020年元旦記事特集として、万葉歌6首が紹介されました。歌の解説はいかいゆり子先生が担当されています。

近江各地の歌と歌碑が存在しています。

額田王・大海人皇子の歌碑 → 大津京前、東近江万葉の里の森・竜王町

湖東地域 彦根市の歌碑3首

近江路の 鳥籠の山なる 不知哉川 日のころごろは 恋ひつつもあらむ
犬上の 鳥籠のやまなる 不知哉川 いさとをきこせ わが名告らすな
白真弓 斐太の細江の 管鳥の 妹に恋ふかれ 眠を寝かねつる
不知哉川(いさやがわ)は芹川、斐太(ひだ:地名)の細江は宇曽川を指すとT氏より補足がありました。

湖北地域 9首があります

歌の舞台になっているのは、野田沼、木之本町、伊香山、塩津、深坂、竹生島付近、大浦、などである。

葦辺には 鶴がね鳴きて 湊風 寒く吹くらむ 津乎の崎はも     
草枕 旅行く人も 行き触れば にほひぬべくも 咲ける萩かも   
伊香山 野辺に咲きたる 萩みれば 君が家なる 尾花し思ほゆ    
味鎌の 塩津をさして 漕ぐ船の 名は告りてしを 逢わざらめやも  
ますらをの 弓末振り起こし 射つる矢を 後見む人は 語り継ぐがね 
塩津山 打ち超え行けば 我が乗れる 馬そつまづく 家恋ふらしも 
高島の 阿渡の湊を 漕ぎ過ぎて 塩津菅浦 今か漕ぐらむ
霞降り 遠つ大浦に 寄する波 よしも寄すとも 憎くあらなくに
山越えて 遠津の浜の 岩つつじ 我が来るまでに 含みてあり待て  

⑤ 近江と芭蕉

芭蕉(1644-1694)俳人  近江の良さを再発見できる句が多く残ります。980句のうち近江の句は93句です。 近江での句碑は61基確認されています。
野ざらし紀行」 の旅の途中、京から小関越えで近江に入った記録が残っています。その時の句、『やまじ来て なにやらゆかし すみれ草』 があります。

湖南と彦根の蕉門

堅田・大津・膳所・瀬田 と 彦根を中心とした2つの地域に芭蕉の弟子が多く、門弟たちは、「行く春を近江の人と惜しみける」 と芭蕉を厚くもてなし指導を仰いぎました。

俳諧のメッカ  義仲寺

元禄4年(1691)5月 膳所の木曾寺の東に無名庵が完成し、芭蕉の門弟たちは芭蕉を暖かく迎えて9月まで指導を受けました。その縁による遺言によって、芭蕉の屍は、義仲寺に埋められ手厚く葬られました。辞世の句「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など多くの句碑が境内にあります。

義仲寺と芭蕉の関連資料

近江関連の句の紹介8首(芭蕉句碑の場所)*近江で詠んだ句

  をりをりに伊吹をみてや冬籠 (高宮)(米原市清滝)(長浜八幡宮)
 *ひるかおに昼寝せうもの床の山(彦根市大堀)(床の山)
  鶯や柳のうしろ藪の前(伊吹町杉沢)
  頭巾召せ寒むや伊吹の山おろし(米原市伊吹町上野)
 *行く春を近江の人と惜しみけり(長浜市酢区会館)
  蓬莱にきかばや伊勢の初たより(長浜 慶雲館)
 *たふとがる涙やそめて散る紅葉(高月町高月)
 *四方より花ふきいれて鳰の湖(西浅井町塩津浜)

その他近江各地に多数の句碑が建っています。今回の講義で近江の芭蕉の句は、今も愛され心に残る句が多くあり、おりおりに句碑を訪ねてみたいと思いました。