井伊直弼その人と生涯

井伊直弼の新しい人間像を探る

長く先の見えない人生を送った人だったが、その間もまじめに勉強等に努め、腐らなかった人で、特異なのは中川禄郎について洋学を学んでいる点である。32歳で突然、彦根藩主になってから、江戸幕府の大老という重職についています。ペリー来航から日米親和条約→日米通商条約の調印までは、将軍の跡継ぎ問題が絡んだ大仕事でした。狭い人間関係の中で育っているので、政治をうまく動かすことには力量が不足していたのではと感じます。より多くの人の納得が得られる工夫も努力も足りなかったのではと思います。結果として桜田門外の変のような大事件になってしまった。安政の大獄も十分な根回しのような調整を行っておれば、結果は違うものになっていたかもしれないと思います。若い時の勉学も禅、武術、和歌、能狂言、茶の湯など、政治や人間に対するものが少なかったのではないでしょうか。
これらの過程、特に埋木舎時代についての直弼を年表と古い資料を元に教えてもらいました。

埋木舎時代

なんでも文章に残す人だったので、多くの資料が残っており当時の様子を伺うことができます。

埋木の精神 

「世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」 この歌は直弼の心境を良く表しています。

井伊家の家風 

嫡子以外の部屋住の子は他家を継ぐか、家臣に養われるのが通例でこうした機会に恵まれなかった直弼は、父直中の死と共に欅御殿を出て中堀に面した尾末町の北の屋敷に移りました。彼はここを「埋木舎」と名付け、一生を過ごす覚悟をしたが、禅、武術、能狂言、国学、和歌、焼物、茶の湯に「なすべき業」をみいだして全力を傾けることで忍び入る諦観の情を打ち払いました。