能へのいざない

講師 シテ方観世流能楽師 吉浪 壽晃(としあき)先生
国指定重要無形文化財(総合指定)認定保持者 

能を通じて見る日本の心
~花は心、種は態(わざ)なるべし~
能は見る人の想像力を働かせ、イメージを膨らませてくれる芸術です。
能の詞章(ししょう)である「謡」は室町言葉と言われ聞き取りにくいと言われることもあります。
江戸時代「謡」は寺子屋でも教えられ、大名相互の会話にも使われたようです。
「謡」は七五調で掛け言葉などの美しい言葉で物語が描かれています。
何度か聞けば内容が聞き取れ、その美しさを感じていただけると思います。
能は演じる者、観る者の人生を映すものであると言われ、心の奥深く染み込んでくるものです。

1. 能楽について

能楽には「能」と「狂言」の二つががあります。
650年ほど前の室町時代に観阿弥と世阿弥の親子等によって大成されました。
日本の伝統芸能で現在まで演じ続けられている演劇は世界でも稀なものです。
能楽は能と狂言に含まれる様々な要素が一体となった伝統芸能で、今も生き続ける総合芸術です。
能とは
演者は能面と呼ばれる独特の仮面を使います。
演者の表情は見えませんので笑う事が出来ず、喜劇の演目はありません。
せりふにあたる「謡」とそれに伴う「型」と呼ばれる演技及び「舞」から構成されています。
それに音楽を担当する囃子方(はやしかた)は笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種の楽器から成っています。
狂言とは
能と一緒に上演されることが多く、笑いを中心にしたセリフ劇、喜劇です。
仮面は被らず、社会を風刺した要素を含んだ対話型のセリフ劇です。
現在の漫才、落語、コントなどの原点にあたります。

2. 能楽の歴史

能楽は中国から渡来した「散楽」と言う芸能を源流としています。
散楽は曲芸、歌舞、幻術など雑多な内容を含む芸能だったようです。
やがて、それは物まね芸を中心とした「猿楽」へ発展します。
物まねは別の物に変化するという呪術的要素があるため、寺社で神への奉納芸として祭礼で演じられるようになります。
鎌倉時代になると寺社の庇護下で座が形成されるようになりました。
観阿弥、世阿弥
南北朝時代に大和猿楽四座の一つ観世座に観阿弥が現れます。
観阿弥は物まね主体の大和猿楽に歌舞的な要素を取り入れ幽玄な芸風を志向し、当時流行した曲舞(くせまい)のリズムを導入する工夫で成功を収めます。
その子である世阿弥は「夢幻能」と言う様式を完全な型に練り上げ、今日まで伝わる芸術性を確立しました。
この親子は室町幕府三代将軍足利義満の絶大な庇護を受けました。
義満と世阿弥の出会いは義満17歳、世阿弥12歳の時です。
しかし、将軍が変わるとやがて弾圧されるようにもなります。
世阿弥も佐渡に流刑されています。後に、帰洛したと伝えられていますが、不明な点が多いようです。
それでも能は武家社会の中で育ちます。
武士が武力だけでなく教養もあることを示す必要があったのでしょう。
桃山時代には桃山文化の元に装束も一段と豪華になり、能舞台の様式も確立されていきます。
現在、使用される能面の型もほぼすべて出揃いました。
狂言について
狂言は元々即興を重んじる芸であったので、長い間、各演者の工夫にゆだねられていました。
それゆえ、芸能として伝統を蓄積して発展することはありませんでした。
それでも桃山時代には多くの名手が出て、江戸時代には幕府が「式楽」として定めたことにより能と共に固定化します。
※式楽:公式行事に用いられる芸能
明治から現在へ
明治政府は城も文化も消していきましたが、城も文化も残すべきと考える人もいました。
海外の目で見れば能楽が日本の伝統文化とみられていたので、危機に見舞われながらも現在まで受け継がれています。

3. 能舞台

能楽専用の舞台を「能舞台」と言います。
元は屋外に作られていました。
明治時代に建物の中に作られるようになり、現在の能楽堂へと発展しました。

能舞台の正面に松が描かれた板があります。これを鏡板と言います。
松は年中変わらず青い松葉が茂っています。老松は昔から神が宿る木とされてきました。
鏡板の老松は鏡に映った姿を現しており、実際の老松は舞台の前面にあることを示唆しているのです。
能はこの老松に宿る神に奉納しているのです。観客に見せる為ではないのです。
ですから、能楽にはカーテンコールもアンコールもないのです。
演者は神に対して礼をしていますが、観客に対しての礼ではないのです。
それに対して観客も拍手はしません。
ここが観劇とは大きな違いです。

4. 能面について

能面は現在230種類ほど確認されています。
面は無表情のように見えますが、やや下を向いて光を当てると悲しい表情になります。
上を向いて光を当てると、うれしい表情になります。
面をつける場合、顔にピッタリつけるのではなく、やや上に付けます。
よって面はつけるとは言わず、面を掛けると言います。
従って演者は面を掛けると下方は見えません。そこで頼りにするのが能舞台の柱です。
舞台の前の柱は目付柱、脇柱という名前が付けられています。
これらの柱を確認しながら演じているのです。
般若の面
角は女性を表現しています。(花嫁は角隠しをかぶります)
般若の面は女性なのです。よく見ると目は悲しい目をしています。

 

5. 演目

能楽のレパートリーは約200曲あります。
シテと呼ばれる主役の役によって「神、男、女、狂、鬼」(しん、なん、にょ、きょう、き)の5グループに分けられます。
この五種類を順番通りに演能することを「5番立」(ごばんだて)と言います。
神(初番目物):神をシテとするお話
男(二番目物):武士が主人公のお話
女(三番目物):女性が主人公のお話
狂(四番目物):狂女が主人公のお話(狂女とは子を失った母などです)
鬼(五番目物):鬼や天狗などのお話

6. 能楽の楽器

 ふえ (能管)
竹でできています。
独特の音階で演奏します。
小鼓 こつづみ
桜の木で作られた胴に、馬の皮を組み合わせて作ります。
騎馬民族の楽器が伝わったと言われています。
調べ緒(しらべお)という紐を締めたり緩めたりして微妙な音色を出します。
大鼓 おおつづみ 
桜の胴に馬の皮を組み合わせて作ります。
小鼓とは逆に炭火であぶり乾燥させて演奏します。
高い音になります。
太鼓 たいこ
欅の胴に牛の皮を組み合わせて締めます。
バチで打って演奏します。
演目によって使用しない場合もあります。

能楽では音楽を囃子といい、演奏する人を囃子方と言います。
四つの楽器を四拍子(しびょうし)といい、ひな祭りの五人囃子は四拍子に謡を加えて能楽を演奏している人達です。
向かって左から太鼓、大鼓、小鼓、笛、謡の順に並びます。
楽器の位置が低い方から高い方に並びます。
また、大きい楽器から小さい方へとも言われます。

7. 能を通じて見る日本の心

「風姿花伝」は世阿弥が残した能楽伝書です。
亡父観阿弥の遺訓に基づいたとしていますが、実質は著者独自の芸論を多岐に渡って展開、集大成したものです。
世阿弥の残した言葉
・初心不可忘  しょしんわするべからず 
 良く耳にする言葉ですが世阿弥が芸の道に対して残した言葉です。
・秘すれば花、秘せねば花なるべからず
 隠してこそ花である、表に出してしまえば花ではなくなる。
 見せようとしなくても自然に表れてくるものこそ花である。
・離見の見 (りけんのけん)
 客観的な視点で自分の芸を見る心がけを説いた言葉
・せぬひま  
 動作と動作の間の何もしない瞬間をおろそかにしない事
・一調二機三聲 (いちょうにきさんせい)
 第一に調子を整え、第二にタイミングを計り、第三に声を発する。
 何事も結果に至る過程が大切であるという事
・花は心、種は態(わざ)なるべし
 芸の花は心の工夫によって咲き、この種となるのは謡・舞・演技などの技術である。

余談 毎年正月3日には多賀大社の野外の能舞台で能が奉納されています。