松井先生の2回目の講義 7月11日(火)
滋賀県のいろんな古地図を見ながらの講義でした
講義で見た地図:
・近畿地方の地図(学校にあった大きなもの)
・近江国全図 (江戸時代のもの)
・近江国細見図(江戸時代のもの)
・滋賀県地図(昭和)[彦根、愛知郡、犬上郡]、[長浜市、坂田郡、東浅井郡]、[大津市、草津市、守山市、栗太郡]
・滋賀県 日本海時代の地図(明治時代)
講義の中で興味深かったお話
北近江県民の特性
滋賀は盆地であり、真ん中に琵琶湖があります。琵琶湖の対岸地域との交流に制限がありました。湖北は、雪が多く閉鎖的な環境です。 よって、
閉鎖的な文化となりがちと思われます。一方、都に近い関係もあり、各地へ行くための交通網があったので、多くの商人が生まれました。(近江商人)
彦根 なぜ、交通が混雑するのか?
彦根は、山と湖に挟まれた場所で、ここを通らないと、他へいけない要衝です。 彦根城がある理由の一つは、このためです。
滋賀県の河川について
川床が高くなる天井川も多い
山岳川(土砂を運ぶので天井川となる)、姉川、犬上川、愛知川、野洲川、
滲出川(大きな川と川の間からです湧き水から川になる):宇曽川、蛇砂川、白鳥川、田川、(水運に使われた)
干拓:堤防で囲んで土地を作る、大中湖をはじめ、たくさんあります。
霞提 川が氾濫した時の遊水地、姉川、霞提多くあります。 天の川にも たくさんあります。
滋賀県を走る鉄道の話:
明治15年、長浜―敦賀 開通。ただし、柳瀬トンネルは明治17年開通
関ケ原から、長浜まで、現在の365号線を鉄道が走っていました。長浜は、ターミナルと呼ばれていました。 長浜―大津は、汽船で琵琶湖上を移動。大津(現在の浜大津)から、京都、大阪へと鉄道が伸びていました。
米原―京都間の、湖東線は、明治22年に開通。これにより、関ケ原-長浜間の鉄道は、廃線となりました。
滋賀県にも、海があった、日本海時代
明治9年8月21日から、明治14年2月7日まで、若狭3郡、(三方郡、遠敷郡、大飯郡、敦賀郡)は、滋賀県でした。
昔の近江の地図は、東が上だった
地図の向き:近江の国の地図は、東が上
江戸の地図、京都の地図は、北が上
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近畿地方の地図
松井先生が日本と同じ島国の「英国、比国、NZ国」の外郭線をいとも簡単に描きました。左側は小中学校の授業で使用した近畿地方の地図です。横浜国立大学教授 理学博士 野村正七とあります。
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近江国全図
江戸時代の近江国全図です。安政3年2月、堅田浮御堂、満月寺蔵板、技合 真野 西川重武、業者 堅田徒然庵多嘉孝、彫工 井蛙勇蔵とかかれています。
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近江国細見図
江戸時代の大名、名所、名物、土産の地図です。寛保2年、作者、技合 河州散人 山下重次、技合 森猛忠です。
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興味深々
近江国全図を見ています。皆さん、自分の住んでいるところが昔どんなかんじであったか、興味ありそうです。
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彦根市・愛知郡・犬上郡
彦根の大部分は明治初期の時点では犬上郡だったようです。愛知郡は愛知川町と秦荘町です。今は合併して愛荘町です。現在の犬上郡は多賀町、甲良町、豊郷町です。
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長浜市・東浅井郡・伊香郡他
昭和18年に1町6村の合併により長浜市が誕生しました。東浅井町は今の浅井町です。伊香郡は西浅井町、木之本町などです。
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大津市・草津市・守山市など
大津市の大部分が滋賀郡に属していました。草津市と栗東市は栗太郡です。守山市は野洲郡でした。
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松井先生の説明
先生が地図をたたみながら、地図の説明しています。傷みの激しい地図はコピーを作成し、本物はできるだけ片づけておきます。
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滋賀県の日本海時代
明治9年8月21日から明治14年2月7日までの4年半の間、江戸時代に若狭の国であった「高浜、大飯、小浜、若狭、美浜」が滋賀県に編入されていました。 滋賀県の日本海時代です。