中井先生の講義は全5回です。
1回目:近江の戦国史と城郭(彦根キャンパス)
2回目:小谷城のフィールドワーク:近江の山城「小谷城の見方、調べ方」
3回目:安土城のフィールドワーク:近江の近世城郭「安土城の見方、調べ方」
4回目:彦根城のフィールドワーク:近江の江戸期の城「彦根城の見方、調べ方」
5回目:研究発表会(彦根キャンパス):レポート作成・発表・まとめ
今回の講義は3回目の 「安土城のフィールドワーク」 です。 テーマは近江の近世城郭 「安土城の見方、調べ方」です。
5月2日(火曜)、天候は小谷城と違って、快晴です。暑いくらいでしたが、小風が吹き、新緑と相まって心地よかったです。安土城も 「新緑」 がよく似合います。
昼食は天主址の石垣上でいただきました。
◆安土城のフィールドワーク
〇行 程:9:55「城ナビ館」前に集合、10:00伝羽柴秀吉邸、黒鉄門、伝二の丸邸の石垣、信長本廟、天主の石垣、本丸、天主などを見学した。12:00天主址で昼食
13:00摠見寺三重塔、二王門を経て、下山し、14:00百々橋口、新宮神社、東家住宅、セミナリヨ跡などを見学した。 15:00集合場所に戻り、現地で解散しました。
〇参加人数:クラス20人、サポーター3人、事務局1人、先生を含め総勢25人
〇大手道を少し登り、「伝羽柴秀吉邸」で説明を受けました。規模から信長の屋敷跡と考えるのが正しいらしい。
〇大手道を隔てた「伝徳川家康邸」に建っているのは「摠見寺」で、安土城築城時に信長が建立したお寺です。江戸期に焼失後、現在の位置に建て直しました。
〇織田信雄家4代供養塔での「信雄波乱の生涯」、 森蘭丸邸跡での「森家の殉死・討死」などの話が印象に残りました。
〇黒鉄門の内と外では、石垣の大きさが変わってきます。 「伝二の丸の高石垣」は小牧城、岐阜城の巨石技術(算木積)で、穴太衆の技術ではない。
〇「蛇石」を引っ張り上げる綱が切れて、150人以上の死者がでそうです。 その時から「蛇石」が行方不明です。
〇天主の「中心の礎石」が見当たらないようです。 天主から伊崎半島方向のすばらしい眺望(琵琶湖遠景)を体感しました、
〇「摠見寺三重塔」は、甲賀の長寿寺から移築されたようです。 当時の高度な「リユース技術」に感心します。
〇百々橋口は、家来たちの通用口と考えられます。
〇新宮神社の「入母屋造り、茅葺(材料葭)、土間形式の美しい拝殿」は貴重です。
〇東家は大相撲の東西に関する逸話があり、「NHKのチコちゃんに叱られる」でも紹介されました。
〇セミナリヨ跡から安土山と尾根続きの「きぬがさ山」が正面に見えます。 信長は観音寺城を攻略した時、安土城築造の構想を抱いていたのかもしれません。
〇集合場所のガイダンス施設「城ナビ館」に戻り、現地解散しました。
〇N氏の動画は下の看板をクリックしてご覧ください。
〇フィールドワークの様子は以下の写真ギャラリーをご覧ください。
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現地集合
ガイダンス施設「城ナビ館」前に現地集合です。隣にトイレもあります。
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安土城址
安土城址の石碑です。右側の山の高い所から少し左が天主址です。
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大手道入口
大手道へ向かいます。階段と石垣が見えてきました。新緑がまぶしいです。
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受付処
受付処です。安土城のすべてを 「摠見寺」 が管理しています。屋根に魔除け獅子が載っています。
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伝 羽柴秀吉邸(下段)
「伝 羽柴秀吉邸」となっていますが、規模から信長の屋敷跡と思われます。上下2段になっています。入口には「櫓門」が建っていたようです。
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伝 羽柴秀吉邸(上段)
礎石が規則正しく並んでいます。天皇を迎えるために建てた建物のようです。 右奥は「伝 徳川家康邸」に建っている現摠見寺です。
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大手道(上方から)
大手道 直線部の一番上から下方を見ています。
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黒鉄門跡
石垣は 「湖東流紋岩」 を使用しています。左側下方の大石2個は出入口の門の基礎です。本石垣には観音寺城にある様な「矢穴」は見当たりません。
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二の丸跡の石垣
二の丸の石垣です。「算木積み(さんぎつみ)」です。石垣が高いので勾配は緩いです。隅角部の角度は直角ではなく 、110~120度です。
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二の丸 織田信長 本廟
羽柴秀吉は信長の後継者として、「信長の本廟」を作り、太刀、烏帽子、直垂などを埋葬しています。
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天主の石垣
天主の焼失の際に石垣も焼けて角がとれて丸くなっています。
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蛇石?
築城の際に蛇石を引っ張り上げる綱が切れて、150人以上の死者が出たそうです。その時から蛇石も行方知らずになっています。
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天主入口の階段
柴田勝家から贈られた 「越前産の笏谷石」 を階段の敷石に使用していました。一部は割れています。 福井城には屋根瓦と石垣に用いられていました。
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天主礎石
五重七階(五重六階地下一階)の天主の礎石です。中央の礎石1個が見当たりません。下に埋まっているかどうか?
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天主址からの眺望
天主址の石垣上からの眺望です。伊崎半島方向の琵琶湖遠景です。
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摠見寺三重塔
摠見寺は安土城内に創建された本格的な寺院です。天主と城下町を結ぶ百々橋口からの道中にあるため、境内を通って信長のところに参上したようです。
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二王門
摠見寺の建立には二王門、三重の塔など多くの建物が甲賀郡を中心に近江国の各地から移築されたことが種々の記録からわかっています。
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八幡山(比叡山)
右側が西の湖、中央の山が安土城の移築先の八幡山城です。その左側の後方に薄く見えるのが比叡山です。因縁を感じます。
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集合写真
最初の場所の「伝 羽柴秀吉邸」に戻ってきました。ここで記念撮影です。
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桝形虎口と平入虎口
大手門から西の石塁には2個所の出入り口があり、西側は二度折れして入る 「桝形虎口」 、東側は門を入ると城内に行き着く 「平入虎口」 です。
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百々橋口
この階段が実際の大手道ではないかと言われています。この階段を登って行くと二王門、三重の塔などに行けます。
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百々橋
百々橋の擬宝珠の高欄(親柱)です。コンクリート製はめずらしいです。
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新宮神社(大社)拝殿
正面三間(11.36m)、側面五間(7.89m)で入母屋造、茅葺(材料葭)の 「美しい土間形式の拝殿」 です。当クラスのH氏も高張提灯などを奉納しています。
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東家住宅
東家には大相撲の東西に関する逸話があります。信長公の前で「竹を捻じりあう力比べ」を披露した両者の技量の拮抗に感嘆した信長が、両者に東姓と西姓を与えました。
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セミナリヨ址
信長から下附されたこの地に「イエズス会のオルガンチーノ神父」が高山右近などの信者たちの熱烈な援助を受けて「三階建てのセミナリヨ」を開講しました。
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きぬがさ山
セミナリヨ跡からです。安土山と尾根続きの「 きぬがさ山 」です。信長は観音寺城を攻略した時、安土城の構想を抱いていたのかもしれません。
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天主想像
最後は安土駅西口前の「天主の想像図」です。駅前には信長像もあります。