中井先生の講義は全5回です。
1回目:近江の戦国史と城郭(彦根キャンパス)
2回目:小谷城のフィールドワーク:近江の山城「小谷城の見方、調べ方」
3回目:安土城のフィールドワーク:近江の近世城郭「安土城の見方、調べ方」
4回目:彦根城のフィールドワーク:近江の江戸期の城「彦根城の見方、調べ方」
5回目:研究発表会(彦根キャンパス):レポート作成・発表・まとめ
今回の講義は4回目の 「彦根城のフィールドワーク」 です。 テーマは近江の江戸期の城 「彦根城の見方、調べ方」 です。
予定した6月2日(金曜)は台風で中止になり、7月5日(水曜)に延期になりました。 当日の天気は曇りで、時折小雨がパラつきましが、過ごし易かったです。
彦根城は、今回初めて「天守がある城」 です。 登り石垣と大堀切などの「防御施設」が多くて「見どころたっぷり」の城なので、とても楽しみにしていました。
江戸時代初期に完成した彦根は「戦国の気風」を残しつつも、平和な時代を感じさせる「美しい佇まい」が魅力です。
◆彦根城のフィールドワーク
〇行 程:9:50二の丸駐車場に集合、10:00から表門橋、登り石垣、山切岸、天秤櫓、鐘の丸、太鼓丸、太鼓門櫓、着見櫓、本丸、天守まで見学して丁度12:00です。
12:00~12:30昼食、12:30西の丸三重櫓見学、黒門、山崎門、米蔵後の登り石垣、水門跡、大手道、大手門の桝形虎口、二の丸の馬屋見学後、14:20現地解散です。
〇参加人数:クラス18人、サポーター3人、事務局1人、先生を含め総勢23人
■お城の概要
〇彦根城の縄張りは、武田家遺臣 甲州流軍学者 「早川弥惣左衛門」です。直政は滅亡した「武田家臣団」を預かり、「武田の赤備え」を「井伊の赤備え」としています。
〇天下普請による築城です。 関ケ原合戦から大阪夏の陣にかけての「軍事的緊張下」に築かれました。
〇彦根山の頂部の「本丸、太鼓丸、鐘の丸、西の丸、出曲輪」と山麓の「表御殿」の二元的構造になっています。
〇彦根城は高度な築城技術を投入した堅固な軍事施設です。 その施設は特に内堀内部に見られます。
■校外学習内容
〇表門を入るとすぐ左側に「登り石垣」があり、ここで説明を聞きました。彦根城には「5個所」の登石垣があります。秀吉の朝鮮出兵で築かれた「倭城」の影響です。
〇発券所のむかいは、御殿を外観復元した「彦根博物館」です。
〇発券所を出ると左側に「山切岸」がありました。 敵がどこからも侵入出来ないようにするため、彦根山の山裾を垂直に削った防御施設です。
〇少し階段の坂路を登って行くと天秤櫓がありました。 両端の二重櫓で登城道を上から監視・攻撃できる櫓です。
ここで天秤櫓の土台の左右の石積の違いについて説明を受けました。
〇「天秤櫓と鐘の丸の間」は木橋が架かっていますが、攻撃されたとき落橋させると大堀切になります。
〇今回、工事中のため見学できなかったですが 「西の丸と出曲輪間」 にもう一つの大堀切があります。
〇中井先生お気に入りの「大手道から天秤櫓を見たアングル」で、石積み設計(線形)の素晴らしさについて説明を受け、納得しました。
〇鐘の丸の桝形虎口の正面石垣の2つの鏡石について、確認調査の結果、右側が貼石だったことが印象的でした。
鐘の丸は「武田の城」で実績がある防衛拠点の「円形の馬出し」です。
〇「天秤櫓と太鼓櫓」が一般公開されており、中に入って説明を受けました。
〇太鼓櫓に明治初期の写真があり、現存しない櫓などを確認でき、印象に残りました。もし全ての櫓が残っていたら?
〇着見櫓跡から佐和山城跡が正面に見えました。
〇天守に入場して城内部を見学しました。 内部の70度位の急階段が印象的です。 狭い内部に隠し部屋がありました。
〇天守は居住施設ではなく、変化に富んだ破風、華頭窓など外観重視の建物でした。 〇天守を出たところで、丁度12:00となり、12:30まで昼食休憩です。
〇12:30から西の丸見学です。 西の丸の北側には三重櫓があり、大堀切と合わせて、防御の要になっています。
〇黒門から山崎門を過ぎ、米蔵跡では西の丸三重櫓の堀切へ接続する「登り石垣」の説明を受けました。
〇梅林の水門跡で、「幕府の5万石などの年貢米を納める蔵が17棟あった」、「輸送ルートは琵琶湖から松原内湖をとおり、内堀へ」などの説明を受けました。
〇南西向きの大手門は大阪城の軍事的な抑えとして、築城当初は非常に重要でありました。 豊臣家滅亡後は表門(江戸向き)中心になっていきました。
〇鐘の丸の内堀周りの石積は、上部が鉢巻石垣で、その間が芝土居で、下部が腰巻石垣です。 まるい感じが武田流とも言われています。
〇大手門から二の丸駐車城に戻り、馬屋を見学、梁に設置してある「猿の耳飾り」の意味を聞きました。 さいごに「二の丸の駐車場」で集合写真を撮りました。
〇見学が終了し、14:20現地解散です。 解散後、雨足が強くなり、結果的に天気に恵まれた1日でした。
〇N氏の動画は下の看板をクリックしてご覧ください。
〇フィールドワークの様子は以下の写真ギャラリーをご覧ください。
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いろは松
中堀の沿道沿いの松並木で47本あったのでこの名が付けられました。現在34本が残り、当時の面影が偲ばれる通りです。通行の妨げにならないように根が地上に出ない土佐松が植えられています。
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埋木舎
彦根で最も有名な歴史上の人物は井伊直弼です。その直弼が青春時代を過ごした舎です。文武両道に励み、大老として開国の父となった才能はここで培われたといわれます。
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旧池田屋敷長屋門
池田家は「伊賀之者」として、井伊直政に取り立てられた忍者であり、後に士分となり、重用されました。彦根藩の中級武家屋敷の典型をなす長屋門として、彦根市の指定文化財に指定されました。
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佐和口多門櫓
道路をはさんで左右に多門櫓があるが、右側は戦後に再建された鉄筋コンクリート製で、左側が江戸時代に築かれた重要文化財の本物です。端部に二重櫓を構えています。彦根城遠景がいい感じ。
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桝形虎口
佐和口には突破が困難な「桝形虎口」があります。戦国期から江戸期にかけて工夫され発達した防御施設です。
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現地集合
二の丸駐車場前に9:50集合です。表門橋から道路を隔てた前です。 ここから本日のフィールドワーク出発です。
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表門橋(木橋)
お城の表門のことを大手門と言いますが、彦根城には大手門と表門の2つの玄関があります。その両方に木橋が架けられています。 この橋は表門橋です。表御殿に通じる内堀に架かる木橋です。
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登り石垣と竪掘
彦根城には「5個所の登り石垣」があります。敵の斜面移動を封鎖するもので、朝鮮南岸に築いた倭城で多用された防御施設です。ここは竪掘を併用しています。
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表御殿(発券所前)
表門を入ると発券所の向かいに表御殿を外観復元した「彦根博物館」があります。築城当初、表御殿は本丸にありましたが、大阪落城後、山麓に移されました。
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山切岸
山切岸は彦根山(金亀山)の山裾を垂直に削った防御施設です。勾配が急なため、崩壊防止のアンカーが打設されています。少し目立ちますが仕方ありません。
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天秤櫓と鐘の丸間の大堀切
堀切から見上げると木橋があり、攻めこまれても橋を落とせば天秤櫓には侵入できません。「堀切と鐘の丸と天秤櫓」は一体の防御施設になっています。
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天秤櫓の石積
天秤櫓の土台の石垣は左右で積み方が異なっています。右側が築城当初の「牛蒡積み」、左側が幕末に積み直された「落とし込み積み」の石垣です。
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中井先生お気に入りのアングル
大手道から侵入してきた敵を天秤櫓から攻撃できるように石積が設計されています。 チョット電柱が目立ちますが、これもまた、日本文化です。
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オオトックリイチゴ(牧野富太郎博士)
城とは無関係ですが。朝ドラの「らんまん」の主人公のモデル、牧野富太郎博士が、表御殿跡で発見した彦根城の固有種の「オオトックリイチゴ」が赤い実をつけています。(天秤櫓の入口の木橋右側です。)
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太鼓丸
天秤櫓と太鼓門の間の空間を太鼓丸と呼んでいます。 太鼓門と言う名前は、時を知らせる太鼓をおいてあったことからの由来らしい。
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太鼓門櫓
天守がある本丸表口をかためる櫓門です。二階には大変めずらしい高欄付き廊下があります。櫓内には、彦根城の明治初期の写真を公開しており、現存しない櫓や門を確認できます。
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天守(本丸御殿側)と本丸御広間の礎石
礎石が規則的に並んでいます。表御殿の完成まで藩主の居所であった本丸御広間の礎石です。遠めですが「ひこにゃん」が見えます。
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天守(西の丸側)
彦根城の最大の魅力は天守です。屋根には破風(はふ)と呼ばれる三角形の装飾が設けられています。「入母屋破風、唐破風、切妻破風」と多様です。天守内の階段は70度に近い超急階段です。
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天守(城下町側)
壁、軒裏、破風を漆喰で塗り込め、金箔を押した飾り金具や黒漆を多用するなど華麗な意匠が特徴です。最上階と2階には華頭窓、最上階の高欄も装飾性を高めています。
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琵琶湖遠景(沖島)
本丸からの琵琶湖遠景です。一番奥に沖島が見えます。中央の緑のラインが芹川で、外堀の役目を果しています。その手前がすべて城下町です。彦根城は眺望もいいですね。
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西の丸の三重櫓
西の丸は郭の中で最も広く、その最も奥に三重櫓があります。 「L字形の多門櫓」の角を三階にしたものです。三階外側に攻撃用の窓を多数設置しています。
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米蔵側の登り石垣
米蔵側の登り石垣は比較的よく残っています。この登り石垣を上ると西の丸三重櫓の下の大堀切につづいています。登り石垣は松山城、洲本城、米子城でも見られます。
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水門跡
現在、梅林の米蔵跡には幕府の5万石の預かり米などを収める米蔵が17棟建っていました。琵琶湖から松原内湖を経て、内堀まで運ばれてきた米は水門から搬入して、米蔵に収納します。
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大手門(二の門)桝形虎口
大手門は大阪城への抑えとして軍事的に重要な位置を占めました。入口は一門と二門からなる横長の桝形虎口です。
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大手門の多門櫓と二重櫓
明治初期の写真では、大手橋と平行する形で、高石垣の上に多聞櫓と二重櫓が配置されていました。内堀の石垣(護岸)の天端に犬走りを設けて、高石垣が設置されています。
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大手橋(木橋)
大手門の入口に架かる大手門橋(木橋)です。彦根城の南西(大坂向き)に位置し、築城当初、非常に重要でした。しかし、豊臣家滅亡後は表御殿のある表門中心になっていきました。
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鉢巻・腰巻の石垣
芝土居斜面を挟んで、上下に石垣がある「鉢巻・腰巻の石垣」で鐘の丸を弧を描くように回っている。 武田流と言われています。石垣が腰巻とは時代を感じます。
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馬屋(外観)
こけら葺きの屋根が美しい馬屋であります。馬屋が城内に残っているのは全国でも彦根城だけです。
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馬屋(内部)
藩主などの馬が21頭つながれていました。上部の梁に取り付けられた飾りを猿耳といいます。昔から猿は馬の守り神であったそうです。猿が馬を健康にしてくれると信じていたようです。
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記念写真
集合場所の二の丸駐車場前に戻り、記念写真を撮りました。そのあと雨が強くなってきたので、すぐに解散しました。