中井先生の講義は全5回です。
1回目:近江の戦国史と城郭(彦根キャンパス)
2回目:小谷城のフィールドワーク:近江の山城「小谷城の見方、調べ方」
3回目:安土城のフィールドワーク:近江の近世城郭「安土城の見方、調べ方」
4回目:彦根城のフィールドワーク:近江の江戸期の城「彦根城の見方、調べ方」
5回目:研究発表会(彦根キャンパス):レポート作成・発表・まとめ
今回の講義は2回目の 「小谷城のフィールドワーク」 です。 テーマは近江の山城 「小谷城の見方、調べ方」 です。
4月25日(火曜)、天候は小雨でしたが、なんとか最後まで大雨にならずに済みました。
小谷城には 「新緑」 がよく似合い、時期としては最高でした。
◆小谷城のフィールドワーク
〇行 程:9:45戦国ステーション集合、10:00番屋手前の駐車場から徒歩、10:10から13:00まで小谷城跡見学、13:00下山、13:50食事(浅井歴史民俗資料館)、
14:30資料館見学、15:00現地解散
〇参加人数:クラス21人、サポーター4人、事務局1人、先生を含め総勢27人
〇番所の絵図の所で中井先生から当日の行程と全体説明がありました。
〇お茶屋跡で土塁の説明を受けました。 〇馬洗い池は2つあり、本当は井戸曲輪ではないか?
〇赤尾屋敷跡に浅井長政自刃の石碑、浅井長政が29才の若さで自刃したことが印象深いです。
〇桜馬場跡からの眺望(琵琶湖遠景)は、曇っていましたが竹生島を確認できました。
〇大広間では礎石が散見されました。 奥には本丸の石垣があります。 大広間は日常生活の空間として利用していました。
〇落城はしましたが、建物などの焼失はなかったようです。
〇小谷城最大の防御施設である本丸と小丸の間の「大堀切」を見学しました。
〇山王丸東側の「大石垣」は、高さ5mで小谷城最大です。家臣や領内の国人衆に見せつける役割です。
〇山王丸が実際の本丸ではないかと考えられています。 対岸に大嶽(おおづく)が見えます。
〇見学が終了したところで本降りになり、下山しました。
〇浅井歴史民俗資料館で遅い昼食をいただきました。 〇全員で民俗資料館を見学した後、現地解散しました。
〇N氏の動画は下の看板をクリックしてご覧ください。
〇フィールドワークの様子は以下の写真ギャラリーをご覧ください。
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現地集合
戦国ガイドステーション(小谷城麓)に集合です。 江(姫たちの戦国)からはや12年です。
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駐車場から歩く
番所の手前の駐車場から徒歩です。 小雨決行ですが、新緑が気持ちいいです。
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小谷城跡絵図
小谷城跡の絵図です。わかり易く描かれています。 右下に「くま出没注意」とあります。
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お茶屋跡の土塁
曲輪のまん中に 「土塁」 がある。お茶屋に土塁は似合わない。
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虎御前山城
織田信長が小谷城を攻略するために前線基地として築いた 「付城」 です。 城番は羽柴藤吉郎がつとめました。
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馬洗い池
馬洗い池となっていますが、 「井戸曲輪」 のようです。2池あり、上池が沈砂池の役目をはたしています。
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桜馬場跡
大広間の黒金門跡の南にある 「曲輪」 です。 南北が40m、東西25mあります。南西端で目先の虎御前山城を見張っていました。
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桜馬場跡でロケ
眺望がよいので、大河ドラマ(姫たちの戦国の第1話)のロケに使われました。
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琵琶湖遠景(支城)
左奥が竹生島、その手前右側が「支城」の山本山城、さらに中央も「支城」の丁野山城です。小谷城と連携し、防衛ラインを形成していたようです。
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首据岩
裏切り者の首をさらしたようです。中井先生が首実験です。
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姉川合戦
中央緑色の河畔林(横緑色ライン)が姉川です。織田・徳川連合軍と浅井・朝倉軍が戦いました。 織田方が勝利したようになっていますが、本当のところは?
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黒金門跡
大広間の正面虎口だった 「黒金門跡」 は両側に石垣を構えた門で、現在も巨石が散乱している。
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大広間跡
本丸の大広間跡です。礎石が所々に散見されます。発掘調査では約3万点の 「カワラケ」 が見つかったそうです。
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本丸石垣
大広間の奥の「石垣」です。石垣の上が本丸になっています。
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本丸への坂路
本丸へ坂道を上がっていきます。
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赤尾屋敷跡
浅井長政が自刃した場所です。29歳の若さでした。 本丸から打って出たが、帰れずやむなく重臣の赤尾氏の屋敷が最後の場所になりました。
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大堀切跡
本丸北側には尾根を大きく削って作られた 「 巨大な堀切 」 があり、本丸と中丸を分断しています。
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進入を阻む
登り石垣を作り、道を曲げることで敵の進入を阻む。中井先生が熱心に説明していました。
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京極丸跡
京極氏の屋敷があったと伝えられている。京極高次は、ここで誕生したとされる。大広間に次ぎ広大な曲輪です。
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大石垣
山王丸跡の東側です。小谷城跡で最も壮大な「大石垣」です。比較的大きな石を使い、高さ約5mは規模で本丸を上回る。
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山王丸跡
四段からなり、最頂部には 「山王権現(現小谷神社)」 が祀られていました。ここが本丸ではないかと思われています。
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小谷山全景
清水谷からの小谷山の全景です。左側の高い所が大嶽(おおずく)、凹んだところが六坊、その右の高い所が山王丸です。大堀切を挟んで右側が本丸です。
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集合写真
小谷城跡の絵図の前で撮りました。
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浅井歴史民俗資料館
浅井歴史民俗資料館で昼食をとりました。