中山道をゆく 五回 開催     講師 : 谷口 徹 先生 

第1回中山道 高宮宿とその周辺:2014/10/08
第2回: 中山道 鳥居本宿とその周辺:2014/10/21
第3回中山道 馬場宿とその周辺:2014/11/19
第4回中山道 醒ヶ井宿とその周辺::2014/11/28
第5回中山道  柏原宿とその周辺:2014/12/03




 
江戸時代の主要街道ー五街道

  東海道・中山道(←中仙道)・日光道中(←日光海道)・奥州道中・甲州道中(←甲州海道)    
   (江戸幕府の統治を主目的に設置。呼称は享保元年/1716年に幕府が公定。)
  中山道=古代の東山道(ルートは一部変更)
        板橋〜守山67宿+草津・大津 = 中山道69宿 
 
街道の整備

  慶長年間(1596〜1614):慶長5年の関ケ原合戦によって覇権を確立した徳川家康は、翌6年より主要街道の整備に乗り出す。
しかし、この期の宿駅制は、前代の戦国大名の元での個別の伝馬制(でんませい)を引き継ぐ形で、いまだ多分に過渡的な性格を脱していなかった。宿駅制の中心となる問屋は、武士の系譜を引く在地有力者が個別に領主より任命される場合が多く、したがって、彼らは在地の支配機構ともなり、幕府の直接掌握するところうとは、必ずしもなっていなかった。

 本陣・脇本陣

 幕府が認めた公用旅行者、大名、外国使節が宿泊したり休息するための特別な施設。(名の由来(※1)


                         近江中山道

 東日本と西日本を結ぶ接点に位置し、古代から交通の要衝としての地位を占めてきた近江は、
日本を代表する二本の幹線道路が走っています。ひとつは東海道、そしてもうひとたが中仙道です。

 近江と美濃の境、寝物語の里より始まる近江中山道は、伊吹もぐさで有名な柏原宿、澄んだ水の流
れる醒ヶ井宿、山あいの馬場宿から琵琶湖を望む摺り針峠を経て、北国街道との分岐点鳥居本宿
多賀大社の参拝口として栄えて高宮宿へ。

                         「宿駅散策:近江中山道中絵巻」 パンフより転載

   







































名の由来(※1)
足利将軍義詮(よしあきら)が上洛した際に、その宿泊に充てた建物を本陣と称したことに始まるという。戦闘時に統率者が居る所の名将を採って、その者が宿泊する所をも本陣と呼ぶようになり、戦闘を想定しなくてもよい時代になっても、大名が宿泊する所の名称となって定着したと考えられる。 戻る↑