※下記のページは、第2回目更新時の追加ぺーじです。(2015/02/03 作成)
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草葺妻入の建物
切妻平入の建物
昭和45年頃
左下 旧江龍家
右上 十王水附近
高札
※1
旧郵便局
この高札の全文解読へ
(一色の松井茂雄先生)
《下記のページは第1回目更新時のページです。》
※
十王水
(※1
)
※2
西行水
(※2
)
※3
居醒清水
(いざめのしみず)※3
【醒ヶ井宿の姿】
鎌倉時代から文献に登場する交通の要地
中山道67宿(板橋宿〜守山宿)の1宿・・・・・・・江戸より61番目
幕府直轄
(ちょっかつ)
地 → 大和郡山藩領
石高 : 494石(江戸前期)→528石4斗2合
戸数 : 175軒(江戸前期)→138軒(天保14年/1843)
人口 : 673人(江戸前期)→539人(天保14年/1843)
(天保14年の絵図には「明屋敷」多い)
問屋と庄屋(天保14年/1843)
問屋7軒 ・・・・・ 自宅が問屋場で五日または七日交替
年寄7軒(内問屋兼務5軒)・馬指2軒・人足指2軒
庄屋2人、横目2人
本陣と脇本陣(天保14年/1843)
本陣 : 1軒 (松井家)178坪
脇本陣 :1軒 (土屋家) 85坪
一色の松井茂雄先生
がこの高札の全文の解読されておられています。
寛政年間(1790年代)頃の記録によると、醒井宿では、大橋の袂(たもと)(現在の八代食品店の東、居
醒橋の付近の地蔵川の中)に、高札場がありました。これは「人馬継立に関するお定め書」の高札です。
十王水(※1)
: 平安時代、三善清行
(みよしきよつら)
の子である高僧が諸国遍歴の途中に立ち寄り、山の根の岩石の下より祈りによって
湧出せしめた清水である。近くに十王堂ができたので十王水とよばれている。現在、近くに「十王」の2文字を刻んだ石灯籠がある。
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西行水(※2)
: 西行法師ゆかりの清水。延喜年間(901〜923)仲算
(ちゆうざん)
が岩を削って清水を湧き出させた。その後、西行法師は、
この傍ららの茶店に立ち寄り清水を称賛。いつしかこの清水を西行水と讃えるようになった。
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居醒清水(※3)
; 日本武尊ゆかりの湧水池
(ゆうすい)
山水四石のひとつ。地蔵川の水源である。記紀には、日本武尊が伊吹山の荒神退治で
熱病にかかり、山麓の清水で体を醒ましたという記述がある。それが居醒の清水であるとして、居醒の清水と称している。
この清水は街道沿いにあり、古くから通りかかった旅人が詩文を残している。
また、「近江名所図会」には「此所に三水四石の名跡あり」とある。「山水四石」は、居醒清水・十王水・西行水・日本武尊腰掛石・鞍掛石・蟹石・
明神影向石である。
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