中山道見て歩き 鳥居本宿
  鳥居本宿は、江戸から数えて63番目の宿場で、江戸まで約468Km、京まで約70Kmに位置し、朝鮮人街道、北国街道が分岐する交通の要衝として     栄えました。摺針峠(すりはりとうげ)を下ったところに宿場があり、本陣陣1軒、脇本陣2軒の施設をもっていました。
  
幕府の命により宿場としての整備がされ、佐和山城近くの街道沿いとして城下町の機能も担っていました。 

広重の描く鳥居本・摺針峠から琵琶湖を眺む
Wikipediaより

宿場の入り口近くの旅人の像    摺針峠の山の麓まで湖が迫っていたといわれる。     現在の米原市入江近辺が見渡せる 佐和山を望む
佐和山城の近で城下町の機能もあった鳥居本
   今も街道に残る馬つなぎの輪  





道中合羽の看板

油と柿の渋を塗って防水した雨具として旅人に重宝がられた     

        赤玉神教丸 の有川製薬
創業は万治元年(1658年))。多賀神社の神教に調製したのがはじまりとのこと。有名な「赤玉神教丸」の胃腸薬は、多賀大社が神札を配布しながら諸国の信者を巡回したのがはじまりと言われています。

 有川製薬の屋根の勇壮な鬼瓦
           
    赤玉新教丸の看板          
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