中山道見て歩き 高宮宿
  高宮宿は近江の国犬上郡(現在の彦根市)にあって、江戸から数えて64番目の宿場でした。本陣1軒、脇本陣2軒の施設を持つ中山道で二番目に大きな宿場で、特産品の高宮上布の集散地でもあったことや、多賀大社への門前町でもあったことで江戸時代には大いに賑わいのある宿場でした。今も往時を偲ばせる街並みと史跡が数多く残っています。 
 
 

高宮の町の真ん中にある道標

往時の高宮宿は人馬が行き交う賑わい       多賀大社の一の鳥居・参詣道の入り口
 
「本陣跡 今も表門が遺存されている本陣跡。 本陣跡の案内版 「高宮上布」 当時の特産物は高宮上布で当時の        最高級の麻織物で 室町時代から有名でした。

      本陣・脇本陣
本陣とは公家、大名、公用で旅する幕府の役人などが宿泊するための施設で、参勤交代の時に多く利用されました。本陣の予備の宿舎が脇本陣です。
参勤交代で大名が泊まる施設のことで本陣一軒、脇本陣二軒を有した大きな宿場町でした。



   高宮宿の犬上川にかかる無賃橋
 
中山道が犬上川を横切る場所は、以前は橋のない川で歩いて川を渡りました。出水時には有料の川越し人がいました。明和4年(1767年)に仮橋を架けたそうですが、増水や急な出水で橋板が流されたときは依然として川越人足に頼っていました。

天保2年(1832年)無賃橋が架橋される。     彦根藩が、藤野四朗兵衛が近隣の豪族商に命じて
広く募った義援金で架橋。
天保3年(1833年)高宮宿有志、高宮橋株を彦根藩から買い取り、無料通行が実現されました。

犬上川にかかる無賃橋の碑

今も残る近 江商人・馬場家の威風堂々の佇まい

    
高宮城跡
中世には荘園が出来ました。北殿高宮氏と南殿高宮氏の二つの高宮氏が互いに勢力争いをしながらやがて北殿高宮氏は勢力争いに負けほろんでいきました。この高宮城を居城としたのはこの南殿高宮氏でした 。現在はこの場所に高宮小学校が建っています。                          
高宮神社
 立派なお社です創立年代は不詳だが、社伝によると鎌倉末期だそうです。芭蕉の句碑「をりをに伊吹を見てや冬籠りはを」の句碑が建立されている。祭りの太鼓踊りが勇壮でにぎわう。                       
 
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