中山道見て歩き 番場宿
 
  番場宿は近江国坂田郡にあった中山道の江戸から数えて第62番目の宿場町でした。中山道で最も短く、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠も10軒と少ない宿場でした。 江戸  時代に番場から米原までの切通しと米原湊(みなと)の開設により、海上を利用して京都に向かう分岐点にもなりました。鎌刃城跡や蓮華寺などの古刹が残っています。 
 


木曽街道 番場宿(歌広重の画)
Wikipediaより

 
番場宿の石碑 麓から見る鎌刃城跡

蓮華寺

 聖徳太子によって開かれた浄土宗の寺。寺伝によればかつて法隆寺と号し七堂伽藍を構えていたというが、健治2年(1276)に焼失した。 
北条仲時以下家来たちを供養する 蓮華寺の墓所

 京を追われた北条仲時一行が番場まで来たとき京極  導誉に行く手を阻まれたため、もうこれまでとこの地   で仲時以下約430人が自害して果てました。                        
鎌刃城跡
 鎌刃城は中世から近世初頭の山城で、小谷城などに次ぐ大き な城であったとされる。かっての東山道や近隣の山城を見渡せ
周囲を抑える要所でもあった。                       
  
「番場の忠太郎
長谷川伸原作の戯曲「瞼の母」の登場人物で、実在の人物ではありませんが、この戯曲や歌の大ヒットで番場の地名が全国的し知られるようになりました。


 
溝尾神社(直孝神社)

 寛永20年(1643)、井伊直政公の次男で彦根藩主の井伊直孝公を  慕って村人が「直孝神社」と称した神社。                   


直孝神社の鎮座する迫力の狛犬たち
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