平成 28年 5月 27日 甲良町ウォーキングコースで北近江文化学科卒業生と在校生を中心に゜、「甲良の偉人と
せせらぎ遊園をたずねて」と題して甲良町、尼子周辺の散策、午後は多賀町へ移動し特別養護老人ホーム「多賀
清流の里」のボランティア活動に参加しました。
卒業生のサポート隊が企画・運営計画していただき、たいへん有意義な時間をすごさせていただきました。
サポート隊の先輩から今日の予定と尼子の説明を受ける。北近江文化学科 38期生のようす。
甲良町の尼子周辺は、甲良三大偉人伝と伝えられ、佐々木道誉・藤堂高虎・甲良豊後守宗廣など時代は違うが輩出して
おり、ゆかりの地を訪ねた。
国の重要文化財「権殿」流造づくり、「拝殿」は入母屋造り、「本殿」は神明造りと社殿は各々異なる建築様式で格式高い
神社でした。
甲良神社 由来の石柱 重文の権殿
入母屋造りの拝殿 神明造りの本殿
(1556~1630) 藤堂高虎は近江国藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町在士) 生まれ。元服の15歳にして背丈191cmという巨漢で、浅井長 政、羽柴秀長、豊臣秀吉らに仕えた。45歳の時、関ケ原の戦 にて徳川家康率いる東軍に参戦し、功績をたて今治二十万 石の城主となる。 その後も徳川家の重臣として仕え、築城技術にも優れていた ため江戸城改築などにも功を挙げ、伊勢津藩主となる。 家康は高虎の能力と忠義を高く評価し、重用したという。 (パンフレットよの引用) この公園も整備事業で立派な自然石を使い緑豊かな町民の 憩いの場として活用されていました。 |
藤堂高虎像 |
高虎公園 案内看板 緑豊かな公園 藤堂高虎の案内
甲良地区の神明滝を含め県営農業水利施設高度利用事業・県営水環境整備事業で、1号から17号まで利水に関わる公園施設が
整備され今日の環境施設となっている。水利環境整備事業を全部見るだけで1日くらいかかる施設です。
自然環境を大切にしながら、自然石の石組で水利を考えた甲良地区でした。
神明滝 石柱 春は桜並木でベストショット 水車もあったよ
大小の滝が涼しさを誘う 自然石の石組
(1572~1646)
甲良豊後守宗廣は、近江国甲良庄法養寺に 1572年に生まれ る。宗廣の祖父光廣、また父に大工として師事し宮大工として 基礎を学んだ。 豊臣秀吉が伏見城に家康を迎えるにあたり家康の邸宅を宗廣 が建てたのが家康との出会いであった。 在京中、京都東山の「吉田神社」建立の功により「豊後守」の名 をあたえられた。 (パンフレットより引用) 1604年秋、家康の命により甲良一門を率いて江戸へ出府。 時に32歳。 江戸では大名屋敷、芝増上寺山門、江戸城など、 徳川幕府の主要な建築物をほとんど任され幕府普請方大棟 梁となる。 その後宗廣は、徳川家光が幕府の威信をかけた日光東照宮 の大造営を命じる。 この時宗廣 62歳、甲良大工の総力を集め威信をかけた大事 業あった。 (パンフレットより引用) 写真の説明を書きます。 |
甲良豊後守宗廣の銅像(パンフレットより引用) |
この記念館は法養寺区民の熱望により資金積み立てを行い、平成元年 「風合いある町づくり事業」の採択により補助金を受けて建築したそう
です。展示棟は江戸末期に建築された旧家を補修して、使用している。
江戸末期の旧家を記念館にしている 北近江文化学科 38期生生徒 記念館で先輩より説明を受ける
佐々木道誉の肖像(パンフレットより引用) |
佐々木道誉は近江国(滋賀県)の佐々木京極家に生まれる。 1296年~1373年 38歳の時、鎌倉幕府打倒の兵を挙げた足利尊氏に従い、活躍した。この功績に より京極家は室町幕府で重要な職を担い、繁栄した。 その後、現在の甲良町勝楽寺に移住し、勝楽寺城を築く。 (パンフレットより引用) |
勝楽寺石柱 勝楽寺 山道と本堂 道誉の墓
多賀町の特別養護老人ホーム「多賀の里」に午後おじゃまし、サポート隊のみなさんや37期生の方々のよし笛・かみ芝居・南京玉すだれ・三味線・
太鼓演奏による合唱などを見せていただきました。
先輩のボランティア活動を始めて見せていただきましたが、施設の方々が喜んでいる姿が印象的でした。
私たち38期生は何も出来ませんでしたが、ボランティア活動の大切さを肌で感じる一時でした。
レイカ大の卒業生の方々・ 37期生の先輩の方々ありがとうございました。
よし笛の演奏とコーラス かみ芝居 かみ芝居
南京玉すだれ 三味線、太鼓演奏による合唱
控え室の風景
サポート隊北近江文化の卒業生・ 北近江文化学科 37期在校生のみなさん、有意義な交流会を計画していただきありがとう
ございます。これを機会に今後もよき指導をお願いします。