中山道をゆく

   
    10月、11月、12月 3ケ月で校外学習しています



    11月 25日 柏原宿 校外学習
      広重  中山道  柏原宿より引用  

       中山道  豆知識

      柏原宿

   柏原宿の歴史は古く、793年(延暦12年)に百済王家(韓国の百済)の公家が開墾。  柏原荘として歴史に載っており当時より百済とのつながりが
   うかがえ知る事ができる。
   当時は柏原為永氏が統治していたが後鳥羽上皇の命に背いたため、佐々木信綱(近江源氏)ら佐々木一族によって討伐され、以後、佐々木一族
   の京極氏によって領有された。   (教材より引用)
   宿場としては大きく、13町(約 1.4km)と長く、家数 344軒、旅籠屋 22軒とある。(天保 14年)
   現在の柏原宿には当時の遺構が数多く残っており、見どころの多い宿場である。

      本陣と脇本陣

   本陣     1軒  (隣接して高札場)
   脇本陣    1軒

       御茶屋御殿

   御茶屋御殿とは江戸時代、将軍休泊のための御殿を言う。
     天平 16年(1588年) 徳川家康上洛の宿舎として・・・・・・・・・・・・・・西村勘介屋敷が任にあたる。
     元和 9年(1623年)徳川家光の上洛に際して御殿を建立・・・・・・・・・・柏原御殿として、新築
     元禄 2年(1689年)の廃止・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この66年間に14回使用

   御茶屋御殿は、間口 42間、奥行 38間。街道に面して2つの門が開き、残る三方は竹矢来で区画されている。将軍が休泊するためにこれだけの
   屋敷を作るとは徳川幕府はすごい。
   時代の流れと共に将軍上洛が無くなると御殿廃止共に代官辻弥五衛門により柏村の庄屋・年寄へ「御殿預け」の形となる。
   現在は公園となっており、井戸跡と御殿裏門(勝専寺山門の伝え)が残っている。 (教材より引用)

       箕浦氏屋敷跡
   
   箕浦氏は京極氏の古くからの被官で、当初は箕浦荘(旧近江町)を本貫地としたが、京極氏の命により当地に移って屋敷を構えた。江戸時代中期まで
   当地に住み、屋敷地は明治 42年まで存在した。およそ 1町四方の屋敷地は、土居と堀で画された二連のくるわで構成されていた。
   
   現在は石積みの堀の一部、洗い場として残っている。
   また、菩提寺であった長命寺に箕浦氏一族の墓が残っている。 (教材より引用)

       伊吹もぐさ本舗 「亀屋佐京」 

   伊吹もぐさは最盛期 10軒を超えていたが現在では伊吹艾本舗「亀屋佐京」一軒のみとなっている。
   亀屋佐京店は、肥前国松浦氏の後裔と伝える。弥一郎が当地に来て初めて店を構える。その後、七兵衛の代に大いに繁盛する。七兵衛は行商で江戸
   へ下り、江戸市中で艾を売りさばいては吉原で遊興。その際、吉原の遊女に「江洲柏原の伊吹山の麓亀屋佐京の切り艾」と歌わせて名を広めた。また、
   伊吹艾という浄瑠璃を新作させて、大阪や京都で興行させたという。こうした奇抜な宣伝方法によって財を成した七兵衛は、やがて住宅を大改造。広大な
   庭園を築き、街道を往来する人々にも見えるようにして話題を呼んだ。
   安藤広重の浮世絵「木曽街道六十九次 柏原宿」にも「かめや}の店名が読める。 (教材より引用)

       北畠具行墓

   国史跡に登録されており、猫居峠の上に設けられた北畠具行の宝篋印塔。北畠具行は後醍醐天皇とともに倒幕運動に参加し、元弘元年(1331年)笠置山
   に籠城して捕えられて鎌倉へ護送されることになった。その護送の役を担ったのがバサラ大名の名で知られる京極道誉であった。

   道誉は、具行を暫し本拠地の柏原城(清滝城)に留めていたが、幕府から探使が派遣され処刑を迫ったため、ついに「海道より西なる山際に、松の一村あ
   る下」 通称「首切三昧」の地で斬首した。宝篋印塔は 16年後に、介錯を努めた田児六郎左衛門により建立されたもので、貞和3年の印刻がある。
        (教材より引用)

       清滝寺徳源院

   清滝は京極氏の本拠地である。かつては京極氏の城館とともに、ゆかりの社寺が数多く存在した。その一つが徳源院である。徳源院は正式には霊通山
   清滝寺徳源院と称す天台宗り寺院。弘安 9年(1286年)、京極氏の初代氏信が料田を寄進して以来は、京極氏代々の菩提寺となった。
   最盛期には、京極氏の権勢を物語るかのように 12の坊をもつ寺観を整えていたが、やがて衰退して江戸時代前期にはわずか  4坊を残すだけであった。
   その 4坊も今はない。
   徳源院には、国の史跡となっている京極氏の墓所があり、歴代の墓が整然と並んでいる。江戸時代、丸亀藩主であった京極高豊が四散していたこれらの
   墓を当所に整えたものである。彼は、境内に三重塔(県指定文化財)を寄進するなど、京極氏の 22代として菩提寺の復興に尽力した。
   これまで幕府領であった清滝村を自領の丸亀藩としたのも彼である。  (教材より引用)

   調べてわかった事であるが歴代の奥方の墓は無く、現在も京極氏の館跡(上平寺 )周辺に点在する。
   京極氏は清瀧に館を構えていたが、美濃国との国境北国脇往還道 上平寺に館を移し、弥高城へと繋がる。

   上平寺には京極氏の屋敷跡が史跡としてあり、足をのばして探索するもよし。弥高城城郭跡もあり京極氏歴史を知りたい方は必見 !!
       柏原宿歴史館 

   宿場の中心地に大正 6年(1917年)に建てられた建物を当時の遺構を残しながら歴史館として平成 10年に情報発信の拠点として開館した。
   館内には数多くの展示物があり、中でも柏原宿の出来事を書き留めた「萬留帳や正徳年号の高札」などが数多く展示されている。
   館内横には手打ちそば屋もあり、谷口先生のおすすめそば屋さん。


         柏原宿  今と昔

             柏原宿 重厚な木製標識          旧柏原銀行跡 
 
宿場の中心付近にある立派な柏原宿木製標識
  
旧銀行建物を改築し現在は介護サービスセンター
景観を意識した建物で宿場の中心にある

           
           各所の横には観光掲示版が設置。旧銀行跡地案内

           石柱標識と生徒

 
                  

   熱心に谷口先生の説明を聞き、資料を確認する学科長と石柱標識                 風情漂う行燈
                         常夜燈と高札場
            
  醒井宿方向常夜燈       柏原宿中心部にある常夜燈と高札場跡        清瀧寺から柏原宿にある常夜燈

                                       風情漂う宿場

        

                          柏原宿は街道沿いの景観が整備され、どこか昔にタイムスリップした感じ
      
                          屋号とあきない看板

          
    
          

      古い街並と昔が偲ばれる木製看板に各家の屋号とあきない看板が設置され、旅籠の味わいが漂う。     
 

 
  清瀧寺徳源院    京極家の菩提寺

     
  
    京極氏 1代から18代の墓石             京極氏 19代~25代までの墓石             清瀧寺徳源院の山門前
   丸亀藩主であった京極高豊が四散していたこれらの墓を清瀧寺徳源院
 に整えたもので、拝観料 300円観ることができる。


 左と下の写真は立派な県指定名所の池泉式庭園で、昔は山水で満たされて
 いたいう。現在は地震の地殻変動により枯山水庭園となっているがこれも
 また良し。 (清瀧山を借景に四季折々の変化を楽しめるとのこと
)


 
住職が在宅ならお話を聞くのも好い。
          

         
    道誉桜と三重塔                                             

   エドヒガン桜の一種、樹齢約 300年、樹高 10m、胸高周り
 2.3m。道誉が植えたということで「道誉桜」といわれるがこれ
 は 2代目、昭和 52年に 3代目を植える。

 エドヒガン桜の見ごろははっきり分らないが、京極高豊が
 寄進した三重塔とのコラボも良し。
 

 清瀧寺徳源院は天台宗 比叡山延暦寺派の寺で、住職に
 よれば門徒はなく維持管理に苦労されている。
 現在の住職の傍、仕事持ちのサラリーマンとのこと。



 囲い塀の損傷などが見られ管理に苦労がうかがえる。


 
               北畠具行墓           国史跡         

              

     北畠具行の石柱          北畠具行墓 
          旧の中山道で、醒井宿より猫居峠を越えて清滝
                                            へ向かい柏原宿に行くのが主要街道で京極氏
                                            の影響が読み取れる。この道を行くと北畠具行
                                            墓へ通じる。
     
                                     柏原一里塚

                

                    柏原宿から醒井宿方面はずれの一里塚で、まだ新しく復元された柏原一里塚

        箕浦氏屋敷跡と菩提寺石塔                     亀屋佐京屋伊吹艾本舗
                

 京極氏の被官であった箕浦氏屋敷跡看板。当時遺構はなく、水汲場石垣が残る。      亀屋佐京屋の店舗。現在も営業されており
 また、近くの箕浦氏の菩提寺であった長命寺にある箕浦氏の墓
。                 立派なおもむきのある門構え。

   まとめ

中世より栄え、京極氏を中心とした清瀧、柏原宿。中山道の美濃国より始めて近江国 柏原宿。長い歴史の変革にも対応しながら現在の宿が
残り伝えられている。
柏原地域の皆さんのおかげで歴史を読み取ることが出来ました。
多くの文化財が残っており興味深い柏原宿でした。案内していただいた谷口先生に感謝申し上げます。

                                                                      北近江文化学科一同


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