46期北近江学科生は、2年生初めての校外学習となった「永源寺-危機一髪 信長の千草越」に
ついて学びました。
最初に、東近江市永源寺如来地区の街道分岐点(八風街道と千草街道)の現地を視察し、白鳥
社城「市原の城・千草街道への」当時の土塁の跡を確認しました。白鳥社城の北側土塁は東西40
m以上、西側土塁も40m以上、高さ1.5m~2.5mである。
1570年(元亀元年)、織田信長は朝倉攻めに失敗して退却する際、千種越え(千草街道)を通りま
した。
その途中、対岸に潜んでいた杉谷善住坊に鉄砲で狙撃されますが、幸い命は助かりました。善住
坊は、信長の退却ルートを予測し、千草街道の渋川沿いにある「隠れ岩」と呼ばれる巨岩の上か
ら狙撃したと伝えられています。信長はこの危機を脱した後、高島に身を隠していた善住坊を捕ら
え、1573年(天正元年)に壮絶な最期を遂げさせました。千草街道は古くから通る人がいた街道で
すが、織田信長の狙撃事件があったことで、歴史的に広く知られるようになりました。
続いて、甲津畑町に移動し、樹高/6m、幹周/25m樹齢/推定250年、織田信長が近江に来る際
には、速水家で休息されたと伝えられている信長が馬をこの松の木に繋いだことから「信長の駒つ
なぎの松」と呼ばれている。当日参加者の記念写真を取りました。
最後に、永源寺の高野館(高野城)を見学しました。織田信長の側室となったお鍋の方ゆかりの
平城で発掘調査により石垣や虎口などの遺構が出土した跡で、現在は高野館遺跡年て残ってお
り、田畑が広がっています。 |