和宮降嫁と沿道の宿場町

和宮道中

文久元年(1861
1011月  和宮 16

※降嫁とは 皇女が皇族以外の男性に嫁ぐことで、
唯一武家に降嫁した

※「天下泰平の為、いやいやの事、
余儀なく御受け申し上げ候~」

※江戸幕府14代将軍 徳川家茂に嫁ぐ

1020  江戸へ向け京都(桂離宮)出立

 中山道を通る道中となる

 東海道筋荒れ所等多し、河川増水、桜田門外の変の影響も

  行列 朝廷側 1万人

 供奉公卿、公卿、殿上人以下官人、和宮付き女官

 幕府側 15千人


  京都町奉行、京都所司代など+道中警護121万人

1024 柏原宿 宿泊

  江龍家文書によると、降嫁の条件のため
の京風の生活」用の道具もあった

 醒ヶ井宿 槍釼達人50名含む、
上下154人が7軒に分宿

 朝廷、幕府の公用は宿代無料で
宿場持ち出しが多い

 助郷制度やお救い申請(返金前提)が
有った

◆道中の沿道へは
 前後3日間は出られなかった

その後の和宮

 慶応 2年(1866)家茂死去

 明治10年9月 和宮死去 享年32歳