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第108回例会

『彦根城下町散策と総会』


主催 レイカディア大学 城郭探訪会
 担当  草津校 地域文化学科
健康づくり学科

2023年8月20日(日)


 
石田三成の関ヶ原敗戦後、佐和山城主井伊直政の子の井伊直継 (当時13 才)により、筆頭家老木俣土佐守守勝の補佐を受けて、彦根城は築城されました。その時、佐和山城下に居住していた家臣や町人も彦根に移住させて、彦根城下町が計画的に形成されました。また、佐和山から移され たことから彦根市内には佐和山城の遺構がいくつも残されています。今回 は彦根城下のうち 1000 石以上の家臣の屋敷区域、家臣・町人・寺の区域 (彦根城下町整備の基点なった夢京橋キャッスルロードを歩きます)、足軽屋敷の区域を順に散策し、彦根城下町の構造を体感しました。
彦根城下町散策後、彦根勤労福祉会館にて総会実施されました。

 当日は猛暑の一日でしたが、暑さに負けず城下町、特に足軽屋敷を訪れ当時の暮らしぶりを見ることができました。


彦根駅前にて 足軽屋敷 旧磯島家住宅前にて


 

彦根藩初代城主 井伊直政像

1561年現在の静岡県井伊谷に生まれ、1600年徳川四天王の一人として関ヶ原の合戦で武功をあげ、18万国彦根藩の藩主となった。
1602年41歳で亡くなった。その後子らが彦根城を築城した。
主催者から今日の概要説明 彦根観光ボランティアガイドの皆さん
今回は山登りはありませんが、軽く準備体操 最初は300石であった井伊直政が、出世していくごとに石高が増え、井伊藩藩主18万石まで出世した。 当時はこの2倍の幅の堀であった
 
ひこにゃんの出迎え こちらの堀の塀は鉄筋づくり こちらり堀の塀は築城当時のもの
   
彦根藩家老 木俣守安屋敷跡

北条家の家臣の子として生まれ、小田原征伐後叔母の木俣家の養子となり、後に井伊直継に仕える
彦根城の石塀 彦根城を乗せた郵便ポスト
     
二重の石垣 長屋門 家老 長野伊豆の屋敷跡
   
彦根城下の道幅は3間半から4間であった 2階建てに見えない造り 足軽屋敷の町並みは1間半の通りで、敵に攻めにくいように狭かった
旧磯島家 辻番所

くいちがいになっており、24時間足軽が監視していた
城下町を守るため築城の際外堀の外側に足軽組を集中して足軽組屋敷を設けた
     
足軽にも戸建ての家があてがわれた 辻番所の中から、城下への侵入者を監視するため、格子窓が造られている 格子窓から侵入者を監視する


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