BACK


第106回例会

『豊臣秀次ゆかりの八幡山城址』


主催 レイカディア大学 城郭探訪会
 担当  彦根校第43期 園芸学科
2023年6月3日(土)


 近江八幡市を一望する八幡山(鶴翼山)その頂に築城されたのが八幡山城である。天下人となった豊臣秀吉公の甥であり、関白にまで抜擢されるも、28 歳で非運の最後を遂げた豊臣秀次の居城であった。ロープウェイ山上駅近くの山頂展望台(二の丸跡)からは八幡旧市街を、北の丸跡からは国重要文化的環境全国第1 号に選定された水郷地帯を、西 の丸跡からは広大な琵琶湖と比叡山・比良山系をそれぞれ眺望することができる。本丸跡には秀次公の菩提を弔う村雲御所瑞龍寺がありその山門はちょうど本丸の虎口に位置している。城郭周囲の石垣は織豊期の石積技術発展の過渡期のもので、自然石をその まま積んだ野面積みで、石垣の反りもなく直線的に積み上げられているのが特徴であ る。 近年、「八幡山の景観を良くする会」の活動により出丸大地が整備され、見事な石積 みが見ることができるとともに、270 度の展望が開け、必見のポイントである。
 開催日前日、警報級の大雨となり心配されたが、当日は晴天に恵まれ、心配していた登山道は水はけがよく、問題なく登れ、42名の参加者全員が無事全行程を終えることができた


西の丸にて (2班) 出丸にて (1班) 秀次館跡にて (3班)


   
市営小幡観光駐車場集合 受付 城郭探訪会会長挨拶 第106回担当 第43期彦根校園芸学科
リーダー挨拶
近江八幡観光ボランティア協会のボランティアさん 準備運動 畳表、蚊帳、扇子等で財を成した「伴庄右衛門」が本家として建てた家
 
左義長祭りのダシ 近江商人の町並み

豊臣秀次が安土城下から町人を移住させ、碁盤の目の城下町を整備した
八幡掘の説明
   
八幡掘の説明 背割り排水

通りに面する町家が背と背を合わせる部分「背割り排水」「背割の溝」と呼ばれる水路が通り、八幡掘につながっている。
八幡掘

八幡山城の防御のために造られた八幡掘は、琵琶湖や西の湖とも通じ、水運の要衝としても利用された
     
日牟禮八幡宮 安南渡海船額

西村太郎右衛門が残した絵馬
160809は日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)となっている
     
八幡山(標高272m)を目指す 西の丸から琵琶湖を望む 出丸を支える石垣
     
北の丸 村雲御所 村雲御所瑞龍寺

秀吉に自害させられた秀次の母が秀次の菩提のために、京都の村雲に創建し、後にこの地に移された
     
西村太郎右衛門供養塔

西村は蚊帳や木綿を取り扱つかっていた商人で、20才のころ、角倉了以の御朱印船でベトナムに渡り財を成し25年後、日本に戻ってきたが、鎖国の為入国できなかった。 
高田義なみの碑 

干鰯肥物を扱う「納屋嘉兵衛」の8代目として生まれ、国学や漢学を学び勤皇派として私塾を開くなど活躍し、水産会社、新聞社、銀行などを設立した
秀次館跡 

館跡から聚楽第や大阪城と同種の金箔瓦が出土したことから、八幡山城は豊臣政権の権力の具体的な形で現した城郭であった


BACK