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クラス例会③

『山城の傑作・玄蕃尾城跡を訪ねて』


 彦根校第43期 園芸学科
2023年5月21日(日)


 
 玄蕃尾城は内中尾城ともいい、柴田勝家が、北ノ庄城と長浜城の中間点となる越前と近江の国境上に築いた。当初、勝家は本陣をここに置くが、合戦当日は南にある前線の狐塚に移した。城跡は、直線的な土塁と横堀によって築かれており、さらに馬出を設けるなど敵が城内で直進できない複雑な造りになっている。曲輪・虎口・土塁・空壕などの陣城遺構がそのままの姿で遺っている。
 主郭はほぼ正方形となり、その北東隅に天守台がのこっていることから、井楼状の物見櫓が実際に建てられていたことは確実である。この主郭の周囲は幅が広く、高い土塁によって囲まれ、南北に虎口を設けている。いずれの虎口も馬出し的な攻撃を兼ね備えた出桝形で、特に南方の虎口はその外側にさらに桝形の曲輪を重ねているこれら出桝形と主郭の周囲は深い横掘がめくらされている。。
 城郭は東西150m、南北250mに及び、中世戦国時代の山城の形態を当時のままよく残している。2m以上の土塁の外側には空堀が整然とめぐらされ、廊から廊へは土橋が渡されている。この強大な城を十分に生かすことのないまま、勝家は北ノ庄へと落ちていき、そこでお市の方とともに自刃して果てるという悲惨な最期を迎える。
 玄蕃尾城跡は、余呉町と敦賀市が史跡に指定した。続いて昭和59年に滋賀・福井の両県が県の史跡として指定した。平成11年に国の史跡に指定された。(引用:奥びわ湖観光ボランティアガイト協会資料)

 当日は、JRふれあいハイキングに参加し、天候もよく、とても気持ちのいい一日となりました


当日参加の皆さんと主郭にて 主郭にて43期園芸学科の参加者


 
案内いただきました「奥びわ湖観光ボランティアガイド協会」の皆さん 柳ケ瀬関所跡 玄蕃城址への登り口
倉坂峠 玄蕃城址入口 玄蕃城址の案内板
 
堀と土塁によって土橋のみで繋がれていた。
土橋を渡る敵軍に対し、書面と左側を虎口郭から攻撃した
南虎口 馬出
本丸の虎口機能を果たし、かつ三方に横矢を利かして突出している
     
大手郭虎口 深堀 東虎口
   
主郭

45m四方の方形で周囲を高土塁と掘で厳重に囲んでいる
主郭を取り巻く土塁
出来た当初はもっと深く切り立っていたと思われる
張出郭
主郭を取り囲む土塁と掘空堀 馬出 北虎口
     
搦手郭(兵帖基地) 明治天皇柳ケ瀬行在所 旧郵便局


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