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クラス例会②

『関ケ原陣跡と岐阜関ケ原古戦場記念館見学』


主催 レイカディア大学      
彦根校第43期 園芸学科
2023年4月2日(日)


 
「関ケ原の戦い」は、全国15万の武将が、東西両陣営に分かれ、それぞれの忠誠、軍略、葛藤を抱えて衝突した「天下分け目」の戦いであり、のちに260年以上続く天下泰平への幕開けとなる大きな節目の戦であった。
 今回、私たち園芸学科の12名は、その激戦地「関ケ原古戦場跡地」に立ち、それぞれの陣営を廻り、位置関係、距離感、高低差などを目や足などで、当時の戦いの臨場感を味わうことを目的に訪れました。
 当日は、晴天に恵まれ、桜の満開時期と重なって、とても気持ちのいい一日となりました。現地を案内いただきましたガイド草野道雄さんのよくわかる説明により、大変勉強になりました。


開戦地碑前にて 決戦地碑前にて


 
集合場所である東首塚
多くの戦死者を埋葬した場所
松平忠吉、井伊直政陣跡
案内いただきましたオフィス関ケ原の草野道雄さん 桜が満開でした
 
関ケ原製作所の「せきがはら人間村」
未来食堂、カフェ、美術館など

営業 水曜日から土曜日 11:30~15:30
開戦の地

東軍福島正則を出し抜いて松平忠吉・井伊直政が先陣を切った場所
小西行長(西軍)陣跡
肥後宇土城主、東軍寺沢公高、田中吉政らに敗れる
 
開戦地の碑
本来の開戦地に建てられたが、耕地整理によりこの地に移された
島津義弘の陣跡
西軍、大隅帖佐城主、人質の兄義久の娘亀寿を守るため西軍に属する。西軍総崩れの際、有名な敵中突破で帰郷した
鹿児島県日置市の青少年で組織する「関ヶ原戦跡踏破隊」は、昭和35年から50,年にわたり、夏休みを利用して関ヶ原から大阪まで島津勢退路を踏破している
     
石田三成が陣を構えた笹尾山
麓の島左近陣が敵の猛攻をしのいだ
笹尾山登り口 小早川秀秋扮するボランティアガイドさん

小早川秀秋は、世間で言われている裏切り者ではなく、家康との書面で東軍に組することを約束していたので裏切ったのではないと訴えていました
     
正面一番奥の南宮山に毛利秀元(西軍)
その手前の桃配山に徳川家康初陣 
左側、関ヶ原古戦場記念館付近に徳川家康最後陣地
正面に西首塚 
最後の松尾山に小早川秀秋陣
右側麓に大谷吉嗣陣
正面左が開戦地  
   
決戦地

関ケ原の戦いで最も激しい戦いがあったとされる場所 
 徳川家康最後陣跡

家康が、勝利のあと、敵の首あらためを行ったとされる
「 岐阜関ヶ原古戦場記念館」5階から、関ヶ原古戦場が一望できる。床には、周辺の航空写真が張り付けられている


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