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第100回例会

『太尾山城址・清岸寺探訪』


主催 レイカディア大学 城郭探訪会
 担当    彦根校第43期 北近江文化学科
健康づくり学科

2022年12月16日(金)


 
 太尾山城の原初のものは、在地領主の米原氏によって築かれたとされる。築城時期や規模などは不明であるが、南北朝時代、源頼朝が平家を滅ぼすや、佐々木氏は戦功により近江の守護職に任ぜられて、この地が京都に通じる北陸道及び中山道の要塞のため、ここに小城を築き警戒に当たった。山城は痩せた尾根を掘り切って、左右の絶壁から敵の攻撃を不可能にする地形を選んで、山全体を利用して築かれた。
 この太尾山城は、北と南に主郭があり、別域一郭といわれ、今も見事に堀切や土塁、曲輪跡が残されている。
 この域が、ある時は南の敵に対して機能し、ある時は北の敵を監視するなど、北江、南江を二分する境目の域として、時代の変遷とともに果たす役割を変えてきたことが、こうした一域別郭の縄張りにも窺える。
 当日は冬空で曇りがちであったが、湖北の方面の絶景が見られた。細い山道、急斜面であったが、全員無事行程を終えることができた。


太尾山城跡で参加者全員の集合写真 太尾山城概要図


   
湯谷神社にて準備体操 出発前に班ごとに写真 いざ登山開始
   
尾根すじを切り抜いて作られた堀切、ここは岩盤を削って設けられている 南城郭、北城郭ともに周囲に土塁が設けられている 南城郭跡
 
北城郭跡 北城郭跡から琵琶湖、湖北方面が一望できる 盗人岩展望台にて


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