BACK


第97回例会

『賤ケ岳古戦場』


主催 レイカディア大学 城郭探訪会
 担当    草津校第43期 園芸学科A,B
2022年9月30日(金)


 
 賤ケ岳の合戦は、史上まれに見る山城の築城合戦
とも言われるほど多くの山城(砦)が築かれました。その一部と賤ケ岳山頂(標高421m)を探訪します。
 合戦は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家が織田信長の後継者を争い、七本槍と呼ばれた武士たちの活躍で、秀吉軍の勝利となりました。
 登山道中、秀吉軍武将中川清秀の大岩山砦跡やその墓などもあり、山頂からは両軍戦陣跡となる山々と奥琵琶湖一望の絶景が望めるコースをガイドさんの案内で探訪します。
 余呉駅近くの江上登山口~静か岳山頂の登り口は、比較的整備されて歩きやすいですが、山頂近くと下山道は急坂で足元要注意です。
 当日は、晴天に恵まれ、山頂からの絶景が見られました。


 
当日は天候に恵まれ、37人の参加がありました。
賤ケ岳山頂にて第1班の集合写真 


     
当番である草津校園芸学科A,Bの幹事から説明  ボランティアガイドの皆さん
     
賤ケ岳登山に向け、入念に準備運動を行いました  キリシタン大名高山右近が残した希少な砦跡。佐久間盛政の大岩山攻めでは、田上山砦へ退却した。
 
頂上への山道 中川清秀の砦跡。主郭は山頂にあり南北二段で北側には、中川清秀の墓が建っている。周囲には部分的に土塁が残っており、東側には虎口がある。 賤ケ岳の戦いで秀吉側の先方二番手として参戦したが、柴田勝家側の佐久間盛政にうたれた。
     
中川清秀はいとこの高山右近同様キリシタンであったことから墓には十字を刻んだ策がある。 ガイドさんから、豊臣秀吉のはからいにより、中川清秀をうった佐久間盛政の娘が、中川清秀の次男秀成の正室となり、7人の子を授かった話を聞いた。 天候もよく、余呉湖が一望できた
   
賤ケ岳頂上から見る琵琶湖 賤ケ岳の頂上から見ると、柴田勝家軍と豊臣秀吉軍の攻防が、、手に取るようにわかりやすく説明いただいた。
特に前田利家の裏切りが、柴田軍の敗因につながったとされる。
余呉湖周辺の切通しで七本槍で有名な秀吉の人の武将が戦った


BACK