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第94回


「大溝城址・白髭神社、乙女ヶ池と城下町



主催 レイカディア大学 城郭探訪会
  草津校第43期
 ぴわこ環境学科・陶芸学科

2022年6月10日(金)



田信長が、安土に壮大な城を築いたころ、この城は、水陸交通の要所に築かれた平城であり。琵琶湖と内湖である洞海(乙女ヶ池)の水域を利用した水城であった。
城の縄張り(設計は明智光秀によるといわれている。
信長は天正6年(1583)2月3日に甥(弟信行の長男)の織田信澄(のぶずみ)にあてがい大溝城主とした。城主に入った信澄は、高島郡の開発・発展に尽力するとともに、信長の側近として、また、織田軍の遊撃軍団の一つとして活躍した。ところが、天正10年6月2日、明智光秀の謀反(本能寺の変)により、光秀の娘を妻とする信澄に嫌疑がかかり、6月5日、大阪城で自害に追い込まれた。
やがて、大溝城は解体されて、部材は水口岡山城に移されたが、江戸時代元和5年(1619年)に分部光信が大溝藩の初代藩主となると、旧城郭内に陣屋(大溝陣屋)が設置され、総門を設けて、武家屋敷地や旧城下の待ち人地が整備され、湖西地域の中核的存在として、豊かな歴史と文化を育んだ


   
集合場所である高島駅前ガリバーメルヘン広場にて、参加者全員の集合写真  乙女ヶ池で1班の集合写真 


     
出発前の柔軟体操  白髭神社にて  滋賀県指定史跡 鵜川四十八躰仏
1533年近江半国領主佐々木六角義賢のなく母の菩提を弔うため建立した 
     
最勝寺  この乙女ヶ池は、764年の恵美押勝の乱、672年の壬申の乱の古代二大戦乱の場となった。 旧城郭を案内してくださったボランティアの皆さん 
     
大溝城址の石垣  大溝城本丸跡  日吉神社は849年長法寺草創のとき、その鎮守神として坂本の日吉神社より「山王権現」を勧請したと伝えられている
     
日吉神社前にて  大善寺は天台宗盛宗西教寺の末寺で、本尊は安土桃山時代作である。 大溝藩主分部家墓所 
     
 旧城下町の風景
現在も残る水路
 大溝祭(滋賀県選択無形民族文化財)に出される曳山
龍組山蔵(中町・西町
 総門


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