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【第2回】「鳥居本宿と佐和山城」

 中山道は、江戸から京都三条大橋まで宿場が全部で69ありました。鳥居本宿は、江戸から数えて63番目の宿場です。

 10月19日
()、鳥居本学区自治会館に集まり、鳥居本宿と佐和山城について講義を受けた後、いよいよ、鳥居本宿の探訪に出かけました。


 鳥居本宿は、天保14年(1843)の「中山道宿村大概帳」によると、293軒の家数があり、本陣が1軒、脇本陣が2軒、問屋場が1軒、旅籠が35軒あり、人口が1448人でした。                    商家も多くあり、今でも、袖壁・虫籠窓の家が残されており、登録有形文化財に指定されています。


 ここ鳥居本宿には合羽を商う店が、多い時で15軒もありました。2階の軒先に合羽の看板が掲げられています。

 鳥居本宿本陣の「寺村家」跡です。現在、豊郷小学校を設計したヴォーリスの設計による住宅が建っています。

 鳥居本宿には、脇本陣が2軒ありました。そのうちの1軒が高橋家で、問屋も兼ねていました。
 鳥居本宿には、「赤玉神教丸」で有名な有川製薬があります。万治元年(1658)の創業と伝わり、350年の歴史を誇っており、宝暦年間に(1751〜1764)に建てられた建物は、国指定の重要文化財となっています。

 明治天皇の東海・北陸巡幸の際の御小休止所となり、玄関も式台がある立派なものです。神社仏閣の屋根に取り付ける妻飾りを懸魚といいますが、この建物の懸魚も凝ったものです。
 中山道から「赤玉神教丸」の横を八号線に抜けた所に、「上品寺」という寺院があります。鐘楼に釣られた梵鐘は、7代の了海(法界坊)が江戸時代に、江戸市中を托鉢し作ったもので、梵鐘の周囲には、新吉原の花魁、花里・花扇姉妹をはじめとした寄進をした人々の名前が彫ってあります。

 上品寺の南には、近江鉄道の鳥居本駅があります。鳥居本駅も、国の登録有形文化財になっています。

 鳥居本宿の探訪の後、佐和山城に登りました。佐和山城は、鎌倉時代に六角佐々木氏と京極佐々木氏の勢力の「境目の城」として重要な位置を占めていました。16世紀に入って、浅井氏が加わり、三つ巴の佐和山城争奪戦が展開されました。1591年に石田三成が佐和山に入場し、その後、1601年に井伊直政が佐和山城主となり、1604年、井伊直継が彦根城に移ることにより佐和山城は廃城となりました。
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