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【第5回】「柏原宿とその周辺」
高宮宿から始まった「中山道を行く」の学習も、5つの宿場を訪問し、いよいよ滋賀県の最も東の宿場、柏原宿にやってきました。谷口 徹先生に教えていただく最後の授業となりました。
柏原宿は、江戸から数えて60番目の宿場です。
11月30日(水)、柏原生涯学習センターに集り、柏原宿やその周辺の歴史や、清滝寺徳源院と京極氏について講義を受けました。
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谷口 徹先生に導かれて、いよいよ柏原宿の現地研修に出発です。 |
柏原宿の西のはずれに5間(約9m)四方の一里塚がありました。頂には、榎(えのき)が植えられていました。 |
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柏原宿の西の端には、「西見附」が置かれていました。見附は、宿場の入り口にあたる場所に見張りの番人を置いたところで、江戸側を「江戸見附」、京側を「上方見附」といい、ここは、高宮宿の「上方見附」になります。東京の「赤坂見附」や「四谷見附」という地名はその名残です。 |
柏原宿には常夜灯が2基あります。1基は一里塚跡のそばで、「金毘羅山」の文字が、もう1基は宿場の中央あたりで、「秋葉山」の文字が彫られています。 |
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柏原宿には、将軍が休泊するための屋敷「御茶屋御殿」がありました。間口42間、奥行38間とたいへん広く、街道に面して2つの門がありました。 |
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「御茶屋御殿跡」には大きな井戸も残されていました。 |
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村の世話方などが、訴訟や裁判の公務で城下町や陣屋などへ行った時の定宿を郷宿と称し、公事宿とも言った。柏原宿では、書院や庭園を備える上級の旅籠宿を郷宿と称したようである。 |