| 応仁の乱の頃に堀氏によって築かれたといわれている山城で、六角氏と京極氏、織田氏と浅井氏の狭間で揺れ動いた歴史をたどった城です。 | |
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溝尾神社(直孝神社)寛永20年(1643年)に村人が、2代井伊直孝を慕って直孝神社と称していました。最新は「直孝彦命」で、明治初年に社名を溝尾神社に変更しました。 |
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ここ、番場宿にも本陣、脇本陣、問屋場がありました。 |
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特に問屋場はいくつもあり、そのひとつ北村家は明治天皇が休まれました。 |
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中山道と米原道(番場宿と米原湊をつなぐ道)の分岐点にたっていた石碑です。本当の米原道は、もう少し南(鳥居本宿より)です。 |
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中山道の楓並木です。街道といえば松並木と思われていますが。楓並木も植えられていました。 |