湖東焼は絹屋半兵衛らが有田から陶工を招いて、窯を開いたのが始りである。その後、彦根藩の庇護のもと発展するが、井伊直弼の死後、衰える。今回、窯跡を訪ねたが、跡地の看板、石碑以外には土地の形状にその跡がしのばれるだけであった。